2017年10月28日

遠藤啓輔のコンサート日記 〜2017.09.22

 ミュンヘン・フィルがシェフのゲルギエフの指揮でシューベルト『未完成』とブルックナー4番を演奏。会場はガスタイク(ミュンヘン)のフィルハーモニー。
 『未完成』第1楽章。第1主題はオーボエを響きの主体にして、クラリネットは控え気味。リピートはするが和声の前衛性は強調しない。最後の音は明らかにディミヌエンドとして解釈、という今時滅多に聴けないような旧来型のスタイルだが、音楽の魅力は存分に伝わってきた。基本的に同じ主題の繰り返しからなるこの楽章が、繰り返されるたびに微妙に異なる表情を持って伝わってくるように感じる。例えばチェロの第2主題(古典配置だけに一層よく聴こえる)は、闘争的なフォルテを経た後の再現では、提示では感じなかったような救いを感じさせる。また、その闘争的なフォルテは、再現するたびに微妙にテンポを上げて(いるような気がして)、楽章全体を見通しての感情の昂りをコントロールしていたように思われた。
 第2楽章は、山崎先生がいつも重視する冒頭のファゴットとホルンのブレンド感が見事。ホルンが弱音ながらもクリアに硬質な音を出していて、混色しているというよりは、ファゴットと音の束を作っているようだった。映画『マエストロ!』での、松坂桃李のワン・ボウにこだわる演技を観て以降、この楽章はボウイングが気になるようになってしまった。実際、今日の演奏はワン・ボウでの表現が非常に目立った。長く静かな旋律をワン・ボウで弾いた結果、微塵も動かない静かな湖面のような、透明な雰囲気が出来上がっていた。木管楽器による短い動機のリレーは受け継ぐたびに音量を下げていき、静寂の淵へと沈み込んでいくようだった。最後のロングトーンはフルートをやや引き立たせて、天国的な幸福感を追及していた。
 続くブルックナーは、古典配置の弦を増強して、なんと第1ヴァイオリン18型。一方管楽器はトランペットにアシスタントを1人付けるのみ。驚くことに、シューベルトで見事な弱音を聴かせたホルン1・2番コンビがそのままブルックナーも担当。何という精神力だ。ドイツ語が分からないのでパンフレットを買っても使用稿は分からなかったが、聴いている限り、ハース版のようだ。1・2楽章は明らかにハース版。ただしトリオはノーヴァク版と同じフルートとクラリネットによる主旋律。フィナーレのコーダは判別不能。
 1楽章冒頭、嬉しいことに、敢えて各人が弓幅をバラバラにして明滅する木漏れ日のような効果を出す「チェリビダッケ・トレモロ」が聴かれた。チェリビダッケが逝去してから長いが、その遺産がいまだに受け継がれているのは嬉しい限り。フィルハーモニーの一角にひっそりとチェリビダッケの胸像があったのもまた嬉しかった。そして、音程が変わるたびにスフォルツァンド気味に深めの音色を出していたのも説得力ある演奏につながっていた。ホルンのソロは、技術の確かさと音色の深み(カミテに配されていただけに一層幻惑的音色になっていた)は当然と言った安定ぶり。むしろ凄かったのは、休符も含めたフレーズ全体がなだらかな丘陵のように一続きのフレーズとして聴こえたことだ。
 トゥッティのフレーズを締めるときに、清水先生風に言えば「ダブル・クリックする」ように4分音符をしっかり長めに弾いて、輝かしく分厚い響きをしっかりと作っていたのが印象的だった。昨日のベルリンでの演奏スタイルと正反対だったので、いっそう印象的だ。もちろん指揮者が違うので、このスタイルの違いを土地柄の違いに起因させるのは乱暴だろう。しかし、ベルリンからミュンヘンに鉄路移動し、その風景の違いを観てきた者としては、演奏スタイルと土地柄の相関関係を考えざるを得ない。ベルリン界隈の北ドイツは、どこまで行っても変化の無い平原が続くのみ。建物はモノトーンの石造りで冷たい印象を与え、そうした冷徹な風景の印象とドライに切るベルリンの演奏スタイルは良く合っているように思う。それに対し南ドイツまで移動してくると、地形は起伏の激しい丘陵や急峻な山があって面白く変化に富み、建物は温かみのある木造家屋の割合が増え、そして赤い屋根瓦が陽気な印象を与える。そしてここミュンヘンは、いままさにオクトーバーフェスト。中心街全体が巨大な饗宴の場になるとは知らなかった。個人的にはこうした騒ぎは苦手だけど、とにかくミュンヘンが基本的に陽気な街だということは良く分かった。伝記を読む限り、ブルックナーはビールが大好きで、オクトーバーフェスト的な乗りも大好きだったものと思われる。そして、ブルックナーの故郷・高地オーストリアの景観はミュンヘン周辺とよく似ている。ブルックナー本人と直接関わりの無かったここミュンヘンが、5番や9番の原典版が初演されるなど、ブルックナーの死後、ブルックナー演奏の重要拠点になった背景には、陽気さを基調とする風土とブルックナーが親和したのか、と思われた。また、もっと調べる必要があるが、ここミュンヘンは、プロテスタントの国ドイツにおけるカトリック守護の牙城だったようで(中心街には壮麗な天井画を持つ教会があった)、そうした宗教的背景もブルックナー普及に役立ったのかもしれない。ベルリンのドライな音の切りと、ミュンヘンのねちっこく人懐っこそうな音の切り、その背景にはブルックナー普及に関わる重大な風土の違いがありそうだ。興味深いのは、少なくとも僕の印象では、ヴィーンの音の切りはベルリンにむしろ近いと感じられることだ。都会と田舎の違いということか。そして、ブルックナーは明らかに田舎に根差した音楽だ。
 さて、第1楽章の白眉である展開部のコラールはやはり素晴らしい。横一直線に並んだ両ヴァイオリンが舞台前面でトレモロによる響きの土壌を作り、舞台奥ではなだらかな丘陵のように一続きの旋律線を持った金管コラールが歌われる。この静的な2つの音楽要素の狭間で、舞台中央に陣取ったヴィオラ・セクションが豪快に体を動かしながら上昇音型を噴き上げる。このヴィオラは天から降り注ぐ光とも取れるが、少なくとも今日の演奏では、天上を希求する人間の動的な祈り、であるように「見えた」。楽譜通りのティンパニ無しの簡潔な響きはやはりこの場面に相応しい。
 この楽章に限ったことではないが、重要な動きをする3番トランペットが立ち上がりのはっきりした良く通る音で存在感を発揮し、オーケストレイションの立体感を出していた。
 第2楽章。ホルンの4人のソロ・リレーは、さすがにこのレヴェルのオーケストラでは玉石混淆感がなく安心して音楽の流れを感じられる。時折混じるトリルを強調気味に演奏していたのが印象的で、バロック的な古色蒼然とした印象を与える。木管のソロは一音一音がたっぷりと吹かれ生命力がある。最後のティンパニは大きめのヘッドを持った撥を使用。重厚な中にもはっきりとした輪郭を持った音で歩みを進めた。
 第3楽章、前2楽章もそうだったが、遅めのずっしりとしたテンポ設定。クライマックスとクライマックスの間の模糊とした前衛的ブリッジに、むしろ多層的な魅力を感じる。終盤のトランペットの最高音もねちっこくダブル・クリック気味に吹かれる。
トリオは一層遅いテンポで演奏。ディヴィジョンされた弦楽器のロングトーンに存在感があり、多重的な印象。8番第2稿のような巨大な広がりを持った演奏を目指したか。第1主題はフルートとクラリネットで透明感をもって演奏。『未完成』での音量バランスから考えると、ゲルギエフはオーボエとクラリネットのブレンド音を好まないのか?
フィナーレ。冒頭の不穏な雰囲気がある程度進んだところで、ゲルギエフが左手を第1ヴァイオリンに向けて少し掲げた。すると、第1ヴァイオリンが鮮烈なチェリビダッケ・トレモロで加わった。まるで、これから鉄槌を下そうとする神が、雲に乗って立ち現れたかのようで、恐ろしげだ。実際、音楽は巨大な雷のような様相を呈するが、それが何の前触れもなく輝かしく陽転し、それがおかしな印象を与えないというブルックナーの非凡さを堪能できた。ボウイングは全体的に連続ダウンへのこだわりが全く無い。大河的に横へ広がる演奏を追及したため、連続ダウン・ボウはむしろその阻害になるとゲルギエフは判断したか。コーダは、かつてチェリビダッケがしていた6連符のアクセント的強調はせず(このアイディアはむしろハウシルトによって継承されている)、柔らかな印象で演奏。最後は、ホールの残響までもねちっこく肉厚に輝かいた。

 写真はチェリビダッケ
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遠藤啓輔のコンサート日記 〜2017.09.21

ミヒャエル・ザンデルリンクがベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団を指揮。会場はコンツェルトハウス(ベルリン)。
 まずオラフソンの独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲ハ短調KV491。基本的にイン・テンポで、端正な形式の魅力を描き出す。とりわけ変奏曲風のフィナーレが落ち着いている。しかしその中に、強弱の雄弁な変化や、決然としたフレーズの切りによって、隠された熱い感情を静かに表現していた。独奏は、一音一音柔らかい中にもクリアな音の立ち上がりを持った細やかな表現でモーツァルトに良く合っていた。木管は、1番が旋律を吹く下で2番が伴奏の刻みをするといった凝ったオーケストレイションがなされているが、各奏者の自己主張の強い演奏によってその面白さが存分に描き出されていた。
 休憩後にブルックナーの5番。古典配置の弦楽器は第1ヴァイオリン16型の大編成だが、管・打楽器はトランペットにアシスタントを1人付けたのみ。それでも、奏者の力量の故か、あるいはコンツェルトハウスの音響特性のためか、特に木管を筆頭に豊かに鳴っていた。
 序奏は、今日のように古典配置にすると、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが掛け合いになっていることがよくわかり、簡潔かつ綿密なオーケストレイションの魅力が引き立つ。続くファンファーレは、特にトランペット2本から始まるフレーズが、息の長いコラールを歌うように滑らかに吹かれたのが印象的。思うに、この序奏の印象によって、今日のミヒャエルのブルックナー解釈が決定づけられていた。まず、ブルックナーの綿密なオーケストレイションを簡潔かつ明朗に彫り出そうとする姿勢。そして、ブルックナーの中にあふれる歌を、息の長いフレーズ感で歌い上げようとする姿勢である。特に後者が印象的。旋律に雄弁な強弱(楽譜に書かれたものも、あるいは演奏者が付け加えたものもある)が付けられるが、それらが実に長いスパンでとらえた上で付けられているのだ。たとえば、「2小節クレッシェンドし、そのまま2小節ディミヌエンドし、決然としたカデンツでフレーズを締める」という表現をする場合、それらの強弱がバラバラでなく、一続きの流れとして伝わってくるのだ。なお前者については、ポリフォニックな絡みつきをクリアに豪快に描き出したほか、例えば3・4番ホルンによるオルゲンプンクトを強調するなど、音響面にも表れていた。また、フル・オーケストラのフォルテの打ち込みでフレーズを切る場面は、全楽章において全て短く切っていた。短く切っても、コンツェルトハウスの長めで温かい残響が聴かれた。
 第1楽章。ホルン首席は楽々とソロを決めるので、安心して音楽に集中できる。展開部のポリフォニックな部分では木管がベルアップして自己主張。これによってオーケストレイションの綿密さが一層引き立った。コーダのピッツィカートから始まる部分は意外と遅めに始める。今日のミヒャエルのテンポは基本的には速めの印象だが、ときおり意外に遅いテンポのブロックを交えることで重量感をも出していた。そして、最後のひとフレーズを始める部分で楽譜に無いスビート・ピアノ&クレッシェンドをして動的な印象を出していた。
 第2楽章は、冒頭から第1主題が終わるまでミヒャエル自身は一貫して6つ振り。4拍子の主旋律は完全に奏者の自発性に任せていた。音色的に印象深かったのがクラリネットの強調。オーボエと混色することによって、『未完成』冒頭と同じシャリョモー風の音色となり、鄙びた雰囲気を醸し出していた。続く第2主題部は、中・低弦の2分音符にスフォルツァンドを付けて豪快に鳴らし、雄渾さに拍車をかけていた。古典配置だけに、舞台中央から中低弦の押し出し効果が出て凄い。第1主題部は、伴奏音型が変わる3度目の登場では4つ振りにし、この主題の本来の姿をしっかりと刻印した。トロンボーンは乾いたクリアな音色で、チューバの無いトロンボーンのみの存在感を生かして上昇音型を表現した。楽章最後は、改訂版風に上昇音型で終わる方の楽譜を採用。なだらかな丘陵が続くような風景が見えるようだった。
 第3楽章は、第1主題部の伴奏を、3拍目を強調する独自スタイルで徹底。これによって武骨な舞曲風であることが印象付けられる。第2主題部はホルンのレントラー旋律を音量的に強調しつつも、ミヒャエル自身は第2ヴァイオリンの方を向いてヴァイオリンの副旋律を引き立たせる。これによって音楽の立体感が強化された。チューバはこの楽章のみ小さめのチューバ(F管か)に持ち替え。細かい動きを軽やかに決めていた。
 第4楽章は、クラリネット・ソロがしっかりとメッサ・ディヴォーチェして動的な印象を強調。そして、弦によるフーガも激しく動的。最後の3連続ダウン・ボウだけでなく、冒頭2音も含めてダウンが頻出するボウイング。冒頭を連続ダウンにすると、最後の3連続ダウンの効果が薄れると思うのであまり好きでない。しかし今日は、この後でこの主題が出て来る度に「フーガ主題参上!」と名乗るかのようにダウン・ダウンで登場していて、オーケストレイションの明晰化に役立っていた。こう考えると、このボウイングもありかな、という気がしてきた。ただ、これだけダウン・ボウにこだわったのに、フーガの最後の怒涛の連続ダウン・ボウを指示に反して返し弓にしたのは惜しい。コラールの前ではブロックごとにかなり独特にテンポ設定を変える。ホルンのファンファーレに始まってトランペットが第1楽章を回想する部分はかなり速めだが、弦のフーガ主題を伴奏にする部分では遅いテンポ設定に変わる。しかし煽り立てるようなテンポ変化をするのではなく、ブロックごとに完全にギア・チェンジするので、形式感を矮小化することにはなっておらず流石だ。そしてコラールに入ってからは、2・4番ホルンの雄渾な旋律を、ミヒャエルがしっかりとホルンの方を向いて強調。終盤では、各パートに分散された旋律線を太い一つの線になるように繋ぎあげる。そしてフルートの上昇音型部分ではオーケストラ全体の音量を下げ、フルートならではの無垢な音色で天使がふわりと飛翔した様が一瞬見えた。

写真はブルックナー
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遠藤啓輔のコンサート日記 〜2017.09.20

スタニスラフ・ユロフスキの指揮でベルリン放送響がマーラーの『復活』を演奏。会場はフィルハーモニー(ベルリン)。
 ドイツ語が全く読めないのにパンフレットを購入。読めないながらも、前プロのシェーンベルク作曲『詩編130番』はア・カペラの短い作品で、歌詞はヘブライ語であるらしいことと、マーラーの解説で『葬礼』に関して言及していることはどうにか分かった。
 シェーンベルクの演奏前にオーケストラも登壇し、チューニングも行う。
 シェーンベルクはシュプリッヒ・ゲサンクを多用した前衛的な作品。何かに似ている、と思いながら聴いていたが、そうだ、毎年正月に聴いている薬師寺の僧侶の声明にそっくりだ。こう思うと途端にこの曲の魅力が伝わってくる。声明は、東洋的というよりは西域的で、ゾロアスターの雰囲気も感じさせ、佛教の一部でありながらも異教的な雰囲気を漂わせている。このシェーンベルクの詩編も同様に、どこか異教的な雰囲気を漂わせていることを素直に楽しめた。
 シェーンベルクが歌い終わる直前から弦楽器が構えはじめ、歌い終わりと同時に激しいトレモロが始まった。つまりシェーンベルクは、「前プロ」ではなく、『復活』の序奏として扱われていたのだ。
第1楽章は、この異教的雰囲気を漂わせたシェーンベルクと雰囲気の良く合ったオカルト的側面を強調した演奏で、『怒りの日』の動機がグロテスクに強調され、弦のコル・レーニョがこれまた怪鳥の羽音のようにグロテスクな存在感を発揮する。イングリッシュホルンまでベルアップしての木管の歌もおどろおどろしさがよく出ている。と思いながら聴いていたが、旋律線の動きが『復活』第1楽章とはどうも違う。「そうだ、これは『葬礼』だ!」と気づいた。パンフレットで『葬礼』について言及されていたのは、作品の成立史の説明ではなく、「今日は第1楽章を『葬礼』に差し替えて演奏しますよ」という説明だったのか。こうなると、異教的なシェーンベルクとのカップリングの意義がますます高くなってくる。
 第1楽章終了後に合唱団の追加メンバーやソリストが入場。
第2楽章は第1主題が再現されるたびに、合わせて歌われる新たな主題の方を思い切り魅惑的に演奏。形式的整合性の超克を前面に出しているように思われた。
 第3楽章は冒頭のティンパニの強打から、やはりオカルト的おどろおどろしさを出しており、シェーンベルクから続く今日の解釈との整合性を感じさせる。古典配置にされた弦楽器の威力が最大限に発揮され、悪魔の対話のような両ヴァイオリンの掛け合い(特に第2ヴァイオリンの圧倒的表現力が素晴らしい!)、シモテに配されたコントラバスの無窮動のような不気味さが印象的だ。
 『原光』は金管とコントラファゴットによるバンダをフィルハーモニーの高大なポディウム席の更に上に配して演奏。天から降り注ぐ光のような効果を発揮した。
 フィナーレに入ってからは、金管バンダは舞台裏に移り、ホルンが地底からの声のような効果を発揮した。バンダ・トランペットは舞台裏でステレオ配置され、魑魅魍魎の呼び交わしのような効果を発揮した。楽章全体で静かな表現が特に素晴らしく、特に合唱はほぼ全編で座ったまま歌い、水彩絵の具のような透明な音がホールをかすかに満たした。オルガンが鳴り出すあたりでようやく合唱団が起立、バンダのホルンとトランペットも舞台に登場。視覚的にも音響的にも圧倒的効果を出した。しかしながら、最後の打ち込みはあっさりとした品の良いもので、魑魅魍魎や悪魔も加わっての大団円が、気持ちが後を引くように終わった。 
 このように演奏は、作品への徹底的なこだわりが実際の音に昇華した見事なものであった。しかし、一部聴衆の目に余る素行の悪さには大いに困惑した。ヨーロッパの聴衆の鑑賞態度の悪さは今までに何度も体験しているが、今日のひどさは別格で、「意図的な演奏妨害ではないか?」と勘繰らざるを得ない。ナチス時代に受けたマーラーの音楽の受難が復活してしまったのか? 時あたかも議会選挙が佳境、気がかりだ。救いだったのは、こうした一部聴衆の不良行為を打ち消すかのような熱狂的な拍手が送られたことだ。

 写真はマーラー
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posted by ゆかもん at 22:50| Comment(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする