2018年07月21日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪ ~2018.7.13~

シモーネ・ヤングが新日フィルのマチネで得意のブルックナーを演奏(すみだトリフォニーホール)。交響曲第4番の、僕が熱愛する初稿だ。かつて初稿演奏の星だったインバルが最近は第2稿に移行してしまったため、今やヤングこそ初稿演奏の星だ。

 冒頭、低弦がトレモロから離脱する部分の音響変化が印象的だろうと思ってはいたが、実演でのインパクトは予想以上。特にヴァイオリンのメッサディヴォーチェを思い切り強調して音楽を動的なものに豹変させていたこともあり、第1主題確保が、単なる反復を超えた新たな音楽のステージの始まりのように聴こえた。〈ホルンを中心とした落ち着きのある第1主題提示〉→〈木管を中心とした、飛翔するような軽さと動きがある第1主題確保〉、という、音楽の明快な発展が冒頭にして既に聴かれた。初稿独特の動的なホルンもそうした動的な確保の表現と一体化したものだったのだ。

初稿独特の長い総休止は、ヤングのようなブルックナーに長けた指揮者の手にかかると、音楽を止めるものではなく、音楽の次の展開を準備する必要な呼吸の一部として無理なく流れていく。そして低音から始まる挿入句的な部分は、その後にもたらさせる天国的に静謐な下降音型まで一体的な流れをもって演奏されている。

第1楽章中央の金管コラールとヴィオラの並行は、初稿の方が、一層透明感が高くて神聖。そのうえ、ホルンによる第1主題の打ち込みの印象の強さは第2稿には無い魅力。

 コーダは、ギーレンのようには休止のフェルマータを強調はせず、休止を節度のあるひと呼吸と解釈して早めに再開。ホルンによる短い上昇音型の打ち込みは、ベル・アップによって強調。これは短いながらも、フィナーレを反行的に予告する重要な動機であり、それを強調しているのはセンスが良い。動的なスピード感が印象的なコーダで、第1楽章それ自体の印象も、雄大な第2稿よりも若々しく攻撃的、そして、極めて劇的に感じた。「ロマン的」という真意を図りづらい標題には、「劇的な曲を書き得たぞ!」というブルックナーの自信が現れているのかもしれない。

また各楽章に共通することだが、性格の異なる2つの要素の並行、たとえばバッハ的に厳格な伴奏とロマン派的な歌謡主題の並行、あるいは、田園的な素朴な歌と黙示録的な苛烈な動きの並行も、ヤングは両手を使い分けてうまく解析していた。そして、愛聴するギーレン盤ではほとんど拾えていなかった木管の音響やリズムも、今日ははっきりと聞こえる。これによって、ポリフォニーの奥行きや、神性が内在しているかのような空気感が表現されていた。

 第2楽章は、第1楽章と同様に第1主題の提示と確保の印象の違いが鮮明。冒頭には無かったコントラバスが、確保から伴奏に加わることで、動的な躍動感までも加わったのだ。「第1楽章冒頭…提示:主旋律は中音域。伴奏にコントラバスあり。→確保:主旋律は高音域の木管。伴奏にコントラバスあり/第2楽章冒頭…提示:主旋律は中音域。伴奏にコントラバスなし→確保:主旋律は高音域の木管。伴奏にコントラバスあり」というように、第1楽章と第2楽章の冒頭に、平衡や対照の関係があるのが良く見えた。

アンダンテの第1主題部よりもアダージョの第2主題部の方が速く聞こえるという逆転現象はヤングの指揮でも同じ。ただし、流れの滑らかさにアダージョ的なものを表現しているのかもしれない。

第1主題の再現では、第1ヴァイオリンのピッツィカートやティンパニ(定年退職したはずの近藤高顯の重く生命力あるブルックナー・サウンドを再び聴けたのは望外の喜び!)の行進音型が想像以上に効果的で、提示部とは異なる動的な印象を与えた。

ヒロイックなヴァイオリンの動きは初稿独特の魅力だが、それ以上に印象的だったのがそこにかぶさる木管のコラール風の響き。8番フィナーレのコーダ直前を髣髴とさせ、同時に、全く異なる要素が並行するブルックナーの不思議な魅力がここでも炸裂していることを実感した。

音響の豪快な打ち付けが圧倒的なクライマックスから、コーダが終わるまでは意外なほど短く感じる。その短さゆえかえって、鄙びた魅力あふれるホルン・ソロによる終結という魅力が強く印象に残る。ここも『ロマン的な曲をかけたぞ!』というブルックナー自信の箇所かもしれない。

スケルツォは、ヤングがどうカウントするかも興味の的だったが、冒頭はなんと、ヤング自身は全く何もせず完全にソロ・ホルンに一任。今日の客演首席ホルンは、テクニックの完璧さは当然として、音色の奥深さから、音量の多彩な変化まで、この曲のこの稿が求めるソロ・ホルンに求められるあらゆる表現を見事に実現。この名手があってこそのヤングの指揮だろう。ホルン・ソロが終わってからは一小節一つ振りで指揮。例えば7番・8番のような、メトリークや拍子が生み出す律動感が魅力のスケルツォとは全く異なる、拍子すら曖昧な音楽の流れの「得体の知れなさ」がむしろ魅力的。しかし、得体の知れない太い流れの中にも、強弱の変化やトロンボーンの悪魔的な強奏によってしっかりとしたメリハリを作り出す。

トリオの旋律がスケルツォ主部の旋律とあまりにも似ているのがこの稿の弱点かもしれないが、こうして聴いてみると、色彩感と爽快感がトリオに入ったとたんにカラッと明るくなっており、明瞭な変化があった。そして、トリオ終結のホルンによる前打音付きリズムが予想以上に印象的。スケルツォ主部を予告させるだけでなく、主部がダ・カーポされた後も、このリズムに一層注意が行くようになり、同じ音楽の繰り返しなのにやや異なる印象を受けるという不思議さを体験できた。主部を楽譜通り最後まで演奏してから(スコアに無いカットはせず)コーダに入る。ただし、その接続にはやや無理やりな印象を受けた。ブルックナーがスケルツォにコーダを付けることにそろそろ疑問を感じ始めていたのかもしれない。

フィナーレは、ヴァイオリンの強拍弱拍の逆転をきちんと演奏するが、それを強調するようなあざとさはなく、消化された印象。驚かされたのは全音符の下降を中心としたユニゾン主題の表現で、ヤングは完全に棒を止めて一小節ごとの長大なフェルマータで演奏した。そうすると、初稿独特の休止や上昇音型とも相まって、まるで9番のユニゾン主題のような幅広の音楽に聴こえてきた。

この楽章のもう一つのユニゾン主題である5連譜の下降音型の表現もまた見事。奏者に過大な緊張を強いるはずのこの5連譜が、むしろ小節線の枠から解放された自由を謳歌しているように感じられたのだ。

ミサ曲第3番の復活主題から始まるコーダは、主題群の並列が幅広な印象を与え、第2楽章コーダとは対照的に長大な印象を受け、ゆったりと身を委ねられた。その終盤で5連符が再現されたとき、ユニゾン主題で感じた「自由」の印象も再現され、自由の喜びの謳歌の中で曲が閉じられた。

終演後のサイン会の際、ヤングにスコアを差し出すと、既に書かれているサインを指して「これは誰かしら?」と訊いてきたため、インバル(初稿の世界初録音者)であることを告げた。ヤングは「ファンタスティック! 私も大好きよ。」といって先人に敬意を表していた。僕が「僕は初稿を一番愛しています。是非ほかの作品の初稿も演奏してください、特に…」と言いかけると、ヤングは「8番よね!」と僕が言いたいことを先取りしてくれた。今後のヤングの活躍に期待大だ。



 マチネだったのでこのまま関西へ帰ろうと思っていたところ、常連仲間から、ソワレでミサ曲の第3番が演奏されるという衝撃の情報を知らされる。迷うことなく行程を変更し、初台へ飛んだ。その飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルによるミサ曲第3番(オペラシティ・武満メモリアル)。

 キリエの冒頭は弦楽器の弱音が模糊としていたのが印象的で、トレモロによる原詩霧ではなくても、やはりブルックナー開始なのだと思わせる。荒井英治によるヴァイオリン・ソロは縦線が合っているかどうかを度外視して生命力が爆発するような表現を敢行。昼間聴いた4番初稿の異種並行もそうだったが、ブルックナーは縦線の正確さよりも、それぞれの要素が生命力を持っているか、ということの方が遥かに重要であることを実感。ソプラノ・ソロの喜びに憑かれたかのような絶唱もブルックナーの生命力を一層高めていた。

 グローリアは、録音ではトランペットばかり拾ってしまう冒頭が、こうしてライヴで聴くと多様な要素の分厚い重なりによって巨大な音の生命体になっていることがよくわかる。弱音部分は神秘的かつ前衛的だ。そしてフーガは、骨太の音色でありながらもテンポは快速で押し通し、瞠目せざるを得ないすさまじい興奮を呼び起こした。

 飯守は楽章間をほとんど休まずに突き進んだので、フーガの興奮冷めやらぬままクレドに突入する。ソリスト4人を指揮者の両横に配置した視覚効果もあって、ソリストが喜びに溢れた人々を先導しているように見える。室内楽的なオーケストラとソリストの交唱の場面になると合唱団は一斉に座る。合唱の出番がないのではなく、静かに歌っているのだが、座奏になることで静かな印象が一層強くなり、重層的なオーケストレイションの妙味が一層生きてくる。対向するヴァイオリンとヴィオラのソロはシンコペーションに推進力があり、静かな中にも途切れることの無い生命の流れを感じる。そして、昼間聴いた4番初稿と同じ素材を使ったキリストの復活の場面に入ると、まさに期待していた通り!合唱団が一斉に立ち上がり、視覚的にも「蘇り」を表現した。予想していたのにもかかわらずその迫力は圧倒的で、心臓の鼓動が狂いそうなほどだった。そして復活の場面の後のフーガは今日の白眉。フーガの中にそびえる大理石の柱とも評される「クレド!クレド!」の4音が、1回1回表情が異なり、時に誇らしく、時に慈愛に満ちて、時に悲しみに寄り添うように、様々に多様な表情で慰めてくれたのだ。

 サンクトゥスは改めて聴くとその短さに驚かされるが、直後のベネディクトゥスで全く同じ「ホザンナ」が再現するため、2曲合わせてスケルツォ楽章的になっているように感じられた。また、昼間の4番初稿で聴かれた低音から始まる挿入句がミサ曲でも聞かれ、ブルックナーにとって交響曲とミサ曲が同一地平にあることを再認識させられた。

 そしてアニュス・デイでは、終盤の3音の上昇音型の繰り返しが力強く輝かしい。そしてグローリアのフーガ主題の再現は荒々しく熱狂的。それでいながら曲を締めくくるオーボエ・ソロはイン・テンポのまま、良い意味でそっけなくあっさり吹き終える。壮麗なミサが催された聖堂の外へ出ると、そこには小さな花が風に揺れる穏やかな農村風景が広がっていた。といった雰囲気で、ブルックナーの心の故郷が農村であることを確信させる演奏であった。
posted by ちぇろぱんだ at 23:13| Comment(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | 更新情報をチェックする

第44回定期演奏会へ向けて始動!

猛暑真っ只中。。。
みなさま、大丈夫ですか(> <)?
熱中症には本当に気をつけましょうね!

さてさて、しばらくブログを放置してしまっていてすみません。
今期も相変わらずブログ担当なちぇろぱんだです、どうも。
先週の練習では総会が行われ、第44回定期演奏会に向けて、フィロムジカが再始動しました◎
第44回は、4回に一度の大規模演奏会です。
大曲に挑む今期は、ブルックナーの交響曲第5番とラフマニノフのユースシンフォニーをお届けします!
演奏時間90分という大曲…。
演奏よりなにより、まずは体力をつけないといけないのではなかろうか。笑


♪第44回京都フィロムジカ管弦楽団♪
     ♪定期演奏会♪

日 時:2018年12月23日(日)
    13:00会場/14:00開演

場 所:滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(大ホール)

指 揮:池田 俊

入場料:1,000円(前売)
    1,200円(当日)全席自由

曲 目:ユースシンフォニー/ラフマニノフ
    交響曲第5番/ブルックナー


posted by ちぇろぱんだ at 23:12| Comment(0) | 演奏会情報 | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

第43回定期演奏会、終演♪

先日、6月24日に、第43回定期演奏会が無事に終了いたしました。
本番1週間前に起こった大阪北部地震により、一時は演奏会の開催も危ぶまれましたが、無事に開催することができ、先生方、団員、エキストラ、スタッフ、誰一人欠けることなく本番に挑み、また、会場にはたくさんのお客様に足を運んでいただくことができました。
本当に感謝です。ありがとうございました。

ご来場いただいた方の中には、地震の影響でまだ不便な生活をされている方もおられたのですが、そういった方々から「勇気をいただいた」「癒しをもらえた」というお言葉をいただき、音楽の持つ力は偉大だと改めて感じることができました。
どんな状況下でも人の心を豊かにする音楽、これからもそれを大切に活動をしたいと思います。

いまだに地震の影響は続いております。
地震により被災された皆様には、改めましてお見舞いと今後の少しでも早い復興をお祈り申し上げます。

さて、次回の演奏会は、2018年12月23日、びわこホールにて!
第44回定期演奏会となる次回は、大規模演奏会という位置づけをしており、大曲を披露します◎

・ユースシンフォニー/ラフマニノフ
・交響曲第5番/ブルックナー

指揮者の池田先生とともに、最高の音楽をお届けできるよう、がんばります!
posted by ちぇろぱんだ at 23:02| Comment(0) | 演奏会の様子&アフター | 更新情報をチェックする