2020年02月08日

はじめまして

こんばんは
シャーリーさんと同じく、新しくブログ担当になりました、ひつじです
どうぞよろしくお願いいたします

今週 京都では、おそらく この冬初の雪が降りました!
寒い日が続いておりますが、みなさま風邪などひいていませんでしょうか

さて、フィロムジカでは6月の定期演奏会の前に、
来月3月15日(日)(@京都芸術センター)と、4月11日(土)(@平野神社)に演奏の予定があり、
こちらの練習も今週末辺りからぼちぼち始まっていきます
詳しくはまたお知らせしますが、少人数のアンサンブルとなります
どなたでもお越しいただけますので、ぜひに。

アンサンブルは 私も参加させていただくことになりました。初めてなので 少しどきどきですが、楽しみです
今日は久しぶりに楽器をメンテナンスに出したので、
心機一転、また練習に励みたいと思います







posted by ひつじ at 21:34| Comment(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする

2020年02月01日

ブログ担当のつぶやき★

こんばんは!
今シーズンからブログ担当になりましたシャーリーです(*゚▽゚*)
どうぞよろしくお願いします♪

更新遅くなりましたが、フィロムジカは第47回定期演奏会(2020/6/28)に向けて
練習を開始しています!

曲目は
♪ チャイコフスキー/交響曲第2番
♪ハイドン/交響曲第100番『軍隊』
♪グラズノフ/祝典序曲
と、フィロムジカっぽい選曲でございます(о´∀`о)

皆さまの心に響く演奏ができるよう、まずは楽しんで練習したいと思います!
(ま、まずは譜読みだな……汗)
えいえいおーっ!


今期もフィロムジカをどうぞよろしくお願いします(^人^)
posted by シャーリー at 23:06| Comment(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする

2020年01月25日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪ 〜ブルックナー3番2題〜

 ブルックナーの交響曲第3番を2日続けて、しかも異なる稿で聴くという稀有な経験に恵まれた。

まずは尾高忠明指揮の大阪フィルによる第3稿(2020116日。フェスティヴァル・ホール)。

 冒頭、チェロ・ベースの刻みがかなり硬質なのが印象的で、篠崎孝によるトランペットの主旋律は静かな中にアクセントの強調と自然な強弱がついた動的な表現。カオス的な冒頭の中に、「今日の演奏は動的で激烈なものになるのではないか?」という予感を感じさせた。果たしてその通り、リズムの鋭さが強調され、豪放な大フィル・サウンドが聳え立つような演奏になった。晩年に改訂された第3稿とはいえ、やはり初期の発想が脈打った作品であることには違いない。そうした、シンフォニストとしてまだ青年期にあったブルックナーの若々しさが燃え立つようであった。

メロディーが多いという第3稿の特徴を生かしてしっかりと歌うが、流麗に歌うのではなく、アクセントを強調して厳格なイメージを付与した。僕はとりわけ、1・2楽章の展開部のクライマックスを形作る第3稿にしかないトランペットのメロディーに違和感がある。しかし今日のように鋭角的に歌うと、そのメロディーよりも、その直後を受ける軟らかい音楽との対比が明確になったことが印象に残った。全く性格の異なるものを接続してしまうブルックナーの天才性がここに表出しているように感じられ、第3稿は第3稿でやはりブルックナーの音楽なのだ、と納得できた。

第1楽章の第2主題部は、ブルックナーに長けた大フィル・サウンドの白眉。ポリリズム的な音たちを敢えて整理せず、茫洋としたまとまりとして大づかみにすることで、かえってふくよかで温かな音楽を生み出していた。ブルックナーの故郷の柔和な農村風景が浮かんできた。尾高はこうした大フィル・サウンドの伝統を生かしつつも、音量バランスに精緻な配慮をしてブルックナーの魅力を一層深めていた。例えば金井信之の硬質で存在感あるクラリネットの音をかなり強調していた。この曲ではクラリネットは、主旋律のエコーや反行形など裏方の役割が多いが、その裏方を強調することでオーケストレイションをより深みのあるものにしていた。また、トロンボーン群の音量を頭一つ突き抜けさせていたのも印象的だ。ブルックナーの交響曲では、「神の声の代弁者」という特殊な役割を担っていた名残でトロンボーンが独自の動きをする部分が多いが、そうした特殊な性格が強調されていた。欠員が続く2番トロンボーンに名手・箱山芳樹を迎えていたこともあって安定感が凄い。また、堀内吉昌のティンパニは、ややザラつきのあるトレモロの音色が野人ブルックナーに相応しい。今回「やはりブルックナーは凄い!」と思ったのが第1楽章の再現部で、一見すると冒頭のカーボン・コピーのようでありながらも、ティンパニのどよめきを伴っている点で冒頭とはやや異なる深みを出していたのだ。堀内の名演がブルックナーの凄さに気づかせてくれた。

今回の尾高の表現で興味深かったのはフィナーレの第2主題。管のコラールと弦のポルカが並行するこの場面、どちらを強調するのかに指揮者の個性があらわれるが、今日は明確にポルカを前面に出していた。音量差だけでなく、コンサートマスターのチェ・ムンスの強烈なリーダーシップを活かし、躍動感で前面に躍り出ていたのだ。そして単なる優雅な舞踏に終わらないのがブルックナーで、第3主題に近づくにつれて不穏な雰囲気を高めていき、まるで美女が般若に豹変するかのようだった。あるいは尾高がポルカを強調した狙いはここにあったのか?

 

翌日は本名徹二の指揮で大阪響による第2稿(2020117日。シンフォニー・ホール)。

アクセントを強調した尾高とは対照的に、旋律の歌い方はテヌート重視。濃縮された第3稿とは異なり、音楽の広がりがある第2稿に相応しくて良い。弦楽器を古典配置にしたおかげで、ポリフォニックな弦楽アンサンブル部分に纏まり過ぎないふくよかさがあるのが良い。譜面へのこだわりが見られたのはボウイングで、第1楽章の第1主題をフル・オーケストラで演奏する部分は、ブルックナーの指示を遵守して連続ダウン・ボウを採用。これによって、弦楽器の各音に金管のテヌートに負けないテンションが生まれていた。

第1楽章は、特に再現部が終わって以降の、ブルックナー休止を挟みながら全く異なる性格のブロックが連ねられていく様が第3稿にはない魅力。特に悪魔的なまでに明るいブロックの印象は鮮烈で、昨年、山形で聴いた序曲の初稿コーダを彷彿とさせた。同時に、こうした第1楽章のコーダの構造が、フィナーレのコーダの構造と平行になっていることも理解できた。

第2楽章は、第2主題に指定されたアンダンテというやや速めのテンポ設定を重視して颯爽と流したのが印象的。第3稿と違ってシンコペーション伴奏が長大な第2稿でこのテンポを取るのは冒険的ともいえるが、本名は正確さではなく幸福感を重視しているようだった。幸福感に満ちた心地よい風が様々な方向から吹き去っていくような印象を受けた。シンコペーションの演奏に求められるのは数字的な正確さではなく、爽快な雰囲気である、と感じた。目から鱗が落ちた思いだ。巨大なブロックが連ねられてクライマックスが形成される第2稿では、室内楽的なコーダが非常に短く感じられたが、このあっさり感もまた良い。

第3楽章はとてつもない快速ではじめられたが、スケルツォ内中間部とも言うべき部分で若干テンポを落とし、構成の深みを強調した。第2稿ならではの、5番を先取りしたような連続打ち込みと、さらに「これでもか」とばかりに続くコーダの迫力は格別。巨象の群れが全力疾走するような重々しく凄まじい迫力があった。

フィナーレもやはり快速で、冒頭伴奏音型の異界的な雰囲気がいっそう強調された。

第2主題部は、尾高とは逆にポルカの躍動感を控えめにして管のコラールを強調。カットが少ない第2稿ではコラールの見せ場が多く残されているので、管を主役に据えた方が良いという判断になったのだろう。第3稿の尾高、第2稿の本名、それぞれの楽譜から最も望ましい判断を導き出したと言える。

そしてシンコペーションの嵐となる第3主題は、第2楽章第2主題と同様、正確さではなく雰囲気を求めた演奏。第2楽章が丘陵地帯の風のような爽快なシンコペーションだったのに対し、フィナーレのシンコペーションはもちろん大聖堂の峻厳さのイメージだ。

再現部の直前、フィナーレ冒頭音型をヴィオラで予告するが、このヴィオラのパート・ソロは、マーラーの『巨人』フィナーレの名高いヴィオラのパート・ソロを先取りしている、と気づいた。青年マーラーはブルックナー3番のピアノ編曲を任されていたので、この曲を熟知していたはず。ブルックナー3番がマーラー『巨人』に影響を与えたことは充分にあり得る。

初稿マニアとしては、第2稿でも「いいところがカットされている」と感じてしまうが、もちろん昨日の第3稿よりは複雑な構成の奥行きは楽しめる。その筆頭はコーダにおける唐突な第1楽章第2主題の回想だ。故郷の幻を見たかのような一瞬のまどろみが、重量感あるブロックが連続する中での緊張感の緩和という重要な働きを担っていることを確信した。

posted by ちぇろぱんだ at 20:25| Comment(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | 更新情報をチェックする