2019年02月25日

今期初のトレーナーレッスン♪

先日の練習は、今期初のトレーナーレッスンでした◎
いつも本当にたくさんお世話になっている大阪フィルのヴィオラ奏者、岩井先生のレッスンです。
ちょっとずつちょっとずつ進みながら、音を確認したり、縦の線を揃えたり。
岩井先生のレッスンでは、音の作り方や弓の使い方なども教えてくださるので、とても勉強になります。
今回のレッスンでもたくさん学んできました( *`ω´)
しっかり身につけて、これからに生かさねば…!

そういえば練習前には、管楽器のみんなが来週のワークショップの練習をしてましたよ♪
あーしよう、こーしようと活発に意見交換しながらがんばってました◎

F97F1A8C-49EF-4849-A32F-74933A7EFFE4.jpeg

↑ちぇろぱんだは部屋の隅っこでそれを眺めながらお昼ごはんのパンを貪ってました。
というわけで、来週3/3(日)、13時から京都芸術センター制作室12にて、アンサンブルコンサートやります*\(^o^)/*

33D622A1-3C52-4CAB-9219-2AC67C01CE51.jpeg

木管、金管、弦、それぞれのハーモニーを楽しめる機会ですので、お時間のある方はぜひお越しください♪
posted by ちぇろぱんだ at 22:49| Comment(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする

2019年02月23日

フィロムジカ45回定期始動!!


おはようございます。
フィロムジカ団員のみぽです。

昨年の12月に44回定期演奏会が終わり、今年の6月の45回定期に向けての練習が始まっています♪
(本当は1か月くらい前から始まってるんですけど、燃え尽き症候群でブログほったらかしでした)

45回定期の曲目はこちら!

・ベルリオーズ作曲、 序曲「海賊」

・ニールセン作曲、 交響曲第2番 「4つの気質」

・シューマン作曲、 交響曲第4番(初稿 1841版)

演奏される機会の少ない名曲を演奏することで知られるフィロムジカですが、今回はフィロ色弱め?

いえいえ、フィロムジカが以前にも演奏したニールセンの曲や、初稿のものをやりますよ(´ω`*)

初稿は完成稿に比べると、確かに完成度や洗練さ、演奏しやすさという点では未熟なところもありますが、
作曲家が本来やりたかったこと、が詰まっていてとてもおもしろいです!

さて、先日は団内合奏でシューマンの初稿などを練習しました。
この日は、他団体の演奏会のお手伝いに団員が数名行っていることもあって、参加者は少なめ。。

しかし少ない人数だからこそ、普段は気づきにくい響きの確認やリズムを合わせたり出来ました♪
おかげで私は、楽譜のそんなことってある!?っていうような間違いにも気付くことができました('Д')

今週末はいよいよトレーナーの先生をお呼びしての合奏なので、ますますいい演奏に出来るよう頑張ります!
シュー4 写真.jpg

posted by みぽ at 07:51| Comment(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする

2019年02月19日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪ 〜2019.02.09

 神奈川フィルが常任指揮者・川瀬賢太郎の指揮でロットを演奏(2019.02.09マチネ。横浜みなとみらいホール)

 前半にマーラーのリュッケルトの詩による歌。独唱の藤村実穂子がマーラーの音楽を深く理解した見事な歌唱を聴かせた。例えば、低く凄みのあるつぶやきから一転して、高く飛翔するような柔らかい声に豹変した瞬間、ハープが軽やかに上昇した。まるでオーケストレイションまでもものにしてしまったかのような表現であった。

 後半はロットの交響曲ホ長調。フィロムジカが関西初演(日本で2番目の演奏)をした作品だ。冒頭、フルート2本の和音の中で、第1ヴァイオリンと1本だけのトランペットが動くというという取り合わせが、非常に薄くはかなげに感じる。しかしその第1主題が確保されるときには、和音が多くの楽器に広がり、トランペットも3本のユニゾンになって、一転して広大な広がりとふくよかな厚みを持った響きに変貌する。この光景の変化はまさにライヴならではのものだ。とはいえ、展開は基本的には静謐が基調となる。それはまるで、ヴァーグナーの『パルジファル』を髣髴とさせる。しかし驚くべきことにロットのこの曲は、パルジファルよりも先に書かれているのだ。ロットはマーラーどころか、ヴァーグナーをも先行していた! また、改めて聴いてみると、上昇音型が実に重要な働きをしていることがわかる。不幸しかなかった人生にもかかわらず、それでもロットは天上の神を希求していたのか、と思うと涙が出てきた。

 第2楽章はかなり遅め。3拍子ということで、僕はやや動的な音楽だという印象を受けていたが、こうした演奏を聴くと、非常に落ち着きのある音楽でもあるということを実感。ホルンと木管によるアンサンブルは、ホルンの朴訥としたアタックが鄙びた味わいを出していて実に良い。クライマックスのティンパニのディヴィジョンは、奏者一人でトレモロを叩きながら打ち込みもする、という方法で代用。それに続く静謐なコラールはまさに圧巻。僕はマーラー『復活』の「原光」に影響を与えたものと思っているが、その長大さがもたらす感動は、原曲のロットの方が遥かに上。静かに輝かしくブレンドされた響きの中を、かすかに4分音符が動く様が程好く動的。この最後を、弦の上昇による希求と、管楽器の下降による神の降臨によって締めくくるのはブルックナー譲りの聖なる十字架だが、力強いブルックナーとは異なり、ロットは今にも溶ける淡雪のようなはかなさがある。

 第3楽章は荒々しさを前面に出した演奏。縦線の軋みもむしろ、野性的な豪放さを強調するプラスの効果をもたらす。トランペットをはじめとする多くの楽器が装飾音符を強調していたのも得体の知れない巨大なエネルギーを感じさせた。カミテ外側に置かれたヴィオラと、第1ヴァイオリンの隣に陣取った第2ヴァイオリンの豪快な弾きっぷりが作品に力を与える。特に第2ヴァイオリンは、ピンク色のリボンを髪に着けた首席奏者が、パワフルに牽引するとともに要所でアンサンブルを引き締めていた。そして作品を心底から楽むように、終始笑みを絶やさなかったのが印象的だった。いじめをなくすことを目指す「ピンク・シャツ」月間ということで、この日はソリストの藤村を筆頭にピンク色のスカーフやリボンを着けた大勢の奏者が舞台を彩った。僕にはこのピンクの色は、音楽史上のいじめられっ子であるロットに共感し、その偉大さに敬意を表する色に見えた。

厳めしさや豪快さばかりではない。例えば、主部から中間部へ移る部分では、音色旋律的なカデンツのトライアングルによる締めくくりが滑稽で愛らしい印象をも与える。そして、どこか懐かしさを感じさせる中間部は、マーラー8番におけるハーモニウムを主体とした室内楽を先取りしていると感じた。そして圧巻のホルンのレントラーは、「俺はここにいるんだー!」とでもいうようなロットの叫びが聞こえるようであった。そこに打ち込まれる弦の一音一音それらにすら瑞々しい生命力があった。

 第4楽章の冒頭は、まるで生命が滅びた後の地球を描いているかのような荒涼とした世界観がマーラー10番のフィナーレ冒頭を髣髴とさせる。ロットがマーラー初期の『復活』に多大な影響を与えたことは一目瞭然だが、実はマーラー晩年の8番や10番にまでも重大な影響を与えていることが体感できた。また、本日の川瀬のように粘り強く濃厚な歌い方でロットの旋律を演奏すると、まるでクルト・ヴァイルのような妖艶で退廃的な香りまで漂ってくる。一方で、弦を主体とした構築的なフガートは、バッハが後期ロマン派に転生したかのような印象を与える。いわば、18世紀から20世紀までを併呑した規格外の大作が、19世紀の一瞬をわずか20年あまり生きた青年によって生み出され、21世紀の我々を圧倒しているのだ。そしてオーケストレイションの秀逸さに改めて驚かされる。とりわけ印象的なのはコントラファゴットやコントラバスの持続音で、これによって大聖堂でオルガンのペダル音が鳴り続けているような厳粛な雰囲気を出していた。オーケストラの現場にさほど接していなかったはずのロットがなぜこれほどまでに実践的なオーケストレイションができるのか?驚異だ。いったいロットとは何者なのか。この曲を21世紀に届けるためだけに神によって遣わされた天使なのではないか、そのようにしか考えられなかった。行進曲風の盛り上がりの頂点で川瀬はたっぷりとパウゼを取り(心配されたフライング拍手は無し)、その後を受け継ぐホルンのほのぼのとした雰囲気とのコントラストを付ける。そのほのぼのとした音楽が再び巨大な高みに聳え立つ場面では、トロンボーンがくっきりとした音色で旋律線を刻印した。そして最後は冒頭と似ていながらも、オーケストレイションの厚みと深みが明らかに異なることをしっかりと生かした濃厚さをもって静寂に帰っていった。

 

 多くの聴衆がそのまま渋谷に移動して、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のNHK響定期のロットを聴く(2019.02.09ソワレ。NHKホール)。聴衆どころか、移動して両方の舞台に乗ることで演奏を実現した奏者までいたらしい、という奇跡的な話を後で聞いた。

 リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲を前半に演奏した後、ロットの交響曲ホ長調。ホルンは倍管の8人、トランペットもアシスタント2人を付けて5人で、フィロムジカでの演奏と同じ。かつてのアルミンク指揮・新日フィルでも同じ人数を使っており、この「フィロムジカ編成」がロット演奏におけるベスト配陣なのだと自信を深める。

舞台上には、セットのティンパニのほかに1台別にケトルが置かれ、打楽器奏者は3人登場。第2楽章のティンパニ・ディヴィジョンを楽譜通り演奏するのだろうとわかる。一方、無い筈のシンバルまであったが、これはパーヴォの解釈で追加するのだろう。打楽器を3人使うことを生かして、第1楽章の最後では2人で2つのトライアングルを叩いた。フィロムジカでも「トライアングルにアシスタントがいるんじゃないの?」という冗談が飛び交ったが、それを実現してしまった形だ! 実際トライアングルを倍にすると、きらびやかさが格段に増す。そして、例えば第2楽章の最後における静かで遠慮がちなトライアングルのトレモロ(素晴らしく粒の細かい演奏だった!)とのコントラストがついて良い。

そして第2楽章のティンパニのディヴィジョン。過去にアルミンク指揮新日フィルも楽譜通りに音を出していたが、この部分でトライアングル奏者が撥をもって外側からセットのティンパニをトレモロし、ティンパニ奏者が片手で音階を叩き、もう一方の手で吊り下げトライアングルを同時に鳴らす、という方法を取っていた。これに対して今日は、音階の打ち込みとトレモロとが全く別のケトルで叩かれることになるため、とりわけトレモロの響きがしっかりと鳴る効果があった。この効果は、トレモロが鳴っている部分以上に、131小節目から137小節目までの、トレモロが一瞬消えるパッセージのふわりと浮かぶような軽やかさが強調される結果になった。そして、ロットの実践的なオーケストレイションの偉大さに一層畏怖させられる結果になった。

 全体的なスタイルは、おそらく「情の川瀬、理のパーヴォ」となるだろうと予想したが、それはある程度当たった。パーヴォN響の印象は、どんな場面であっても弦の動きに存在感があること。例えば第1楽章では、管楽器がコラール風の旋律を歌い継ぐのが印象的な場面でも、ヴァイオリンの細かな伴奏がはっきりと粒立って聴こえ、それが音楽の立体的構築感を引き立てていた。それ以上に素晴らしかったのは第2楽章のコーダの天国的コラール。管楽器のブレンドされた美しい音に、弦楽器の粒立った刻みがきらめきを添えていた。

 そして、パーヴォは細部に至るまでオーケストラを精緻にドライヴしていた。クレッシェンドをかける際に軽く音量を落としてから始める場面や、テンポの自在な伸縮が乱れずに見事に決まっていた。

3楽章では、ホルンの不協和音の厳しさが強調されており、金管の咆哮すら計算され尽していることを伺わせた。また、第3楽章の練習番号Cでは、第1ヴァイオリンの主旋律を、ロットの指定通りに1プルトの2人がソリで弾いた。コンサートマスター一人が朗々と弾くよりも、2人が息を合わせて弾く方が音楽はかえってコンパクトにまとまり、その直後のトランペットによる反復との連続にも違和感がなくなる。ここでもまたロットのオーケストレイションが理にかなっていることが明らかになった。

そして、フィナーレの行進曲風頂点の後を、川瀬とは対照的に全くパウゼを置かずに続けたのは『クッレルヴォ』のときと同じようなスタイルで、音楽を感情にほだされずに流すパーヴォらしい。

 しかし一方で、意外にもホルンを豪快に吠えさせる場面があるなど、感情を素直に暴発させる場面も多々見られた。その極めつけが楽譜に無い一発のシンバルの追加だ。全曲の最後も最後、練習番号Uあたりだったと思う。打楽器出身指揮者のパーヴォがロットに最大限の愛を捧げるには、昇天するようなコラール風のコーダの直前の頂点にシンバルを追加するしかなかったのだろう。僕は基本的に楽譜の改変は好きではないが、このシンバルは作曲者への最大限の愛情表現として腑に落ちた。

 このようにパーヴォの演奏は、全体を俯瞰してロットの凄さを彫琢豊かに描き出すと同時に、作品への溢れ出す愛を隠さない感情をも兼ね備えた理想的な演奏であった。しかし一方で、搾り取られた涙の量は圧倒的に川瀬の演奏の方が多かった。音楽史上にロットという作曲家が存在したこと、それ自体が奇跡だと思われるが、その最高傑作を同日に、甲乙つけがたい2種類の演奏で聴けた、これまさに奇跡の一日であった。

posted by ちぇろぱんだ at 22:06| Comment(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | 更新情報をチェックする