2023年01月30日

次回へ向けて(2023.01.30)

1月8日から6月の第51回定期演奏会に向けての練習を開始しました。
フィロムジカでは初回練習は初見大会。演奏会でやる全ての曲をざっと通してみます。
もちろん、何度も止まってしまって通らないのですけどね😞
そして、翌週は総会でした。
総会では新たな半年の活動に向けての役員や係、そして前回の会計報告や広報活動の報告などがあります。
1月後半からようやく新しい曲に向けて本格的に取り組んでいます。
そんな中、先週は大寒波が来て京都も大雪に見舞われ、大雪警報まで出ました。
豪雪地域の方からすればこのくらいで大雪!?と思われるでしょうが、雪に慣れていない地域では雪が積もるだけで大騒ぎです。
電車が止まったり、遅れたり、凍った道で車や自転車や歩行者が滑ったり。
みなさまは大丈夫でしたか?

次回の演奏会ではドヴォルザークの交響曲第6番とゲーゼの交響曲2番を演奏します。
ドヴォルザークの6番は知らなくても9番「新世界」はあまりに有名ですし、8番も演奏機会の多い曲です。
でも、ゲーゼって誰?
ですよね。

2番は、YouTubeで聞くことができます。

wikiによればデンマークの作曲家で、メンデルスゾーンと親交を結んで、のちにグリーグやニールセンに影響を与えたとあります。
交響曲は8番まで作曲しています。
フィロムジカでは以前8番を演奏したことがあります。

生のオーケストラで聞いてみたいな、と思われたら6月25日に近鉄京都線寺田駅から徒歩7分くらいの文化パルク城陽にどうぞ!
(フルート K)
posted by 京都フィロムジカ管弦楽団 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする

2022年12月12日

演奏会まで残り...(2022.12.12)

1週間、を切りました!?
昨日は前日練習を残して最後の合奏練習。
テンポの変化や全体のバランス確認を中心に行いました。正に最終調整という感じ。
残り時間のなさに次第に焦りを感じてきた私。(遅い!)
本番までにできることをやりたいと思うが、体調にも気をつけつつ、週末に向けてコンディションを整えていきたいと思います。

そうそう。
一昨日の土曜日は会場近くの地域で演奏会チラシのポスティングを行いました。付近にお住まいの方は見てくださったでしょうか。
そういえばポストに入ってたなーフィロムジカのチラシ見かけたよっていう方、是非12月18日に栗東芸術文化会館さきらまで足を運んでもらえると嬉しいです。
(ob.N)

posted by 京都フィロムジカ管弦楽団 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする

2022年10月30日

遠藤啓輔のコンサート日記(2022.10.28)

関西フィルハーモニーの定期演奏会を首席指揮者の藤岡幸夫が指揮して、日本の作曲家の作品だけで構成した意慾的なプログラムを聴かせた(2022年10月28日、シンフォニーホール)。
1曲目は、木島由美子『Pleuvoir~あめふり~』を作曲者臨席で演奏。2楽章構成の小品ではあるが、各々の楽章が複数のブロックから成り立っているので、長大で変化に富んだ大曲を聴けたような充足感がある。童謡風の朗らかな旋律と、ハープやグロッケンの明るい音色が印象的な一方で、低弦を中心にした硬質なベースラインが音楽を支えており、親しみやすさと構築性が両立している。管楽器は1管編成の木管と2本のホルンのみ、ティンパニも無し、という小編成のオーケストラの響きは、瑞々しさの中に少し濁りがあるのが魅力的で、ドビュッシーの管弦楽曲を彷彿とさせた。

 2曲目は伊福部昭のヴァイオリン協奏曲第2番で、独奏は大阪が生んだ世界の至宝・神尾真由子。冒頭からいきなり、神尾の攻撃的なソロに鷲掴みにされる。音楽への没入は、神尾の魅力であると同時に、没入のし過ぎでゆとりが無くなりかねないという弱点にもなり得る危うさをはらんでいる。しかし今日の神尾は、生命力が炸裂する伊福部の音楽に憑依したかのように没入すると同時に、その楽しさを遊ぶゆとりをも感じさせた。神尾の表現者としての凄みが更に深まった印象だ。そして印象的だったのは第2楽章。伊福部と言えば、密度の高いオーケストラの音が猪突猛進に突き進むのが魅力だと思っていた。しかしこの2楽章では、最小限の音の要素が、流れずに空間の中を漂っているような不思議な魅力を持っていた。伊福部という作曲家のスケールの大きさを再認識する必要に駆られる傑作だ。

 最後は、フィロムジカの歴史の中においても重要な意味を持つ、貴志康一の『佛陀交響曲』。冒頭の茫洋たるカオスの表現は何度聴いても(演奏しても)その見事さに唸らされるが、今日の藤岡/関フィルはそうした前衛的な音響を各所で強調。打楽器もまじえた喧騒のような音響をどぎつく表現していた。特にスケルツォ楽章はまるで打楽器アンサンブルのようだ。印象的なのは、そうした前衛的な音響はおおむね、主題部間の移行部分や展開部で用いられていること。主題部には耽美的な旋律を書いているので、形式美を実にうまく活かして、美しさと前衛性を両立していると言える。貴志青年の、老練な作曲技法だ。

 そして藤岡の演奏が見事なのは、特に前半楽章ではそうした前衛性を強調しつつも、終楽章では純音楽的な清澄さへと昇華していくという、曲全体を見通した大きなストーリー性を持っていたことである。もちろん終楽章でも、とてつもなく前衛的な不協和音が出てくる(僕は「釈尊の死を嘆く場面」だと思っている)。しかし、前半楽章が打楽器を中心とした雑音的な前衛性なのに対し、終楽章は和声による前衛なので、やはり純音楽的だと言える。カオスの世の中に誕生した釈尊が清澄な法を見出す、という崇高なストーリーと言え、これを音で描くことに成功した貴志は、やはり鬼才だ。
 要所で重要な働きをする赤松由夏のヴァイオリン・ソロは、オペラに長けているだけあって微妙な色彩感の変化に魅せられる。そして何と言っても今日の演奏で圧倒的存在感を放ったのは、中島悦子が率いるヴィオラだ。豪放に副旋律を吹き上げたかと思えば、伴奏に回れば猛然たるシンコペーションでオーケストラ全体に活力を与える。ステージの中心に陣取って、オーケストラ全体のエンジンとしての働きを見事に果たしていた。
posted by 京都フィロムジカ管弦楽団 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする