2017年08月09日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪〜2017.08.02

 大阪新音フロイデ合唱団の演奏会。指揮は沼尻竜典、オーケストラは大阪フィル。
 最初にメンデルスゾーンの『讃歌』。攻撃的な歌詞とは裏腹に、音楽はメンデルスゾーンらしい端正なもので、激烈な感情の表出は避ける。合唱はそうした曲の雰囲気を大切にした穏やかな歌いぶり。その中にあってアルト独唱の竹本節子は、基本的には穏やかな音楽運びをしつつも、発音に細かな抑揚をつけて存在感を出し、響きの中のスパイスの役割を果たしていた。

 続いてオーケストラだけでベートーベンの傑作・第8交響曲を演奏。この曲にはベートーベンの魅力を蒸留・濃縮した曲、というイメージを持っていたが、今日の沼尻の演奏は密度の高さよりも大フィルらしいおおらかな響きを前面に出していた。こうなると、この曲の健康的な明るさがより印象的になる。肯定的な祈りの音楽に挟まれた今日のプログラミングにふさわしい演奏となった。

 休憩のあと、ブルックナーの『テ・デウム』。稀代のバリトン三原剛ら贅沢なソリストを揃えたが、中でも田崎尚美(ソプラノ)の激烈な感情表現が印象的。最初は「宗教音楽にしては躍動的過ぎるのでは?」とも感じたが、この疑問は後で解決する。
 合唱は、荘厳な冒頭に続く「sanctus」の静謐な歌い出しが感動的。さらに見事だったのはその直後のスビートff。ピアノの後にフォルテが来ると、ここぞとばかりにガンガン大音響を出したくなるのが演奏者の性だが、ここで合唱はフォルテらしい張りを実現しつつも、歌い出しのppで聞かれた祈りの静謐さの雰囲気を維持していた。ゲネラル・パウゼの前の一瞬のア・カペラ部分でも、品のあるフォルテが維持され、ブルックナーらしい簡潔な美しさを実現していた。
 異色だったのは「Te ergo」以降。モデラートのこのブロックを、沼尻はかなりの快速で演奏。この速いテンポだと、清水徹太郎の輝かしい声質とも相まって、若々しい生命力に満ちた音楽に聞こえてくる。『テ・デウム』は、作曲家としてはまだ壮年期ともいうべきブルックナー60歳前後の作品。沼尻は、この曲に内在するそうした「若々しさ」を強調しようとしたのか。そう思うと、田崎らソリストの激情にあふれた表現も納得がいく。チェ・ムンスのヴァイオリン・ソロは、新日本フィル(アルミンク指揮)で聴いたときは「テ・デウムにしては元気が良すぎるのでは?」と感じたものだが、きょうのこの解釈だとチェの力強い弾きっぷりが実に良く合っている。
 「Aeterna fac.」以降のフォルテは、「sanctus」での落ち着きのあるフォルテとはまた異なった、直截的に感情が溢れ出すようなフォルテだった。「sanctus」との表現の違いを思うと、「祈り」の様々に異なる形が表現されているように感じられた。静かにしみじみと神を讃えたいときもあれば、憑かれたように熱狂的に神に感謝したいときもあろう。そうした多様に異なる祈りの気持ちを、同じffでも異なる表現で実現していたように感じられた。
 フーガの直前では、大阪フィルがブルックナーの指示通り連続ダウン・ボウでかっちりと演奏。これから重要なフーガが始まることをしっかりと予告した。そして今日の白眉はフーガの後の7番からの引用部分。オーケストラを中心とした音の上昇を、高いところにいる合唱団が迎え入れているように、視覚効果も含めて感じられた。それはまるで、昇天する魂を、大勢の天使たちが歌いながら迎え入れているように見えた。演奏前は、合唱団の人数の多さに正直びっくりした。しかしこの数の効果によって、天上の雲の輝きとそこに飛び交う天使の姿を表現し得たように見えた。プロの合唱団が少人数で精度の高い演奏を聴かせてくれるのも勿論良い。しかし大人数による協業でないとできない表現も確実に存在する。今日はまさにそれが実現していた。雲の上まで昇天し、天使たちの合唱に迎えられながら、神の許に行きたい、というブルックナーの永遠の夢を、音楽によって実現していた。
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2017年07月29日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪〜2017.7.27・28〜

 インバルが昨年に続いて大阪フィルに客演しマーラーを演奏。今年は傑作の6番だ。
 昨年も感じたことだが、インバルは都響での演奏とは全く異なるアプローチで大フィルと対峙する。都響では、このオーケストラの透明感を生かして見通しの良いマーラーを演奏していたのが印象的だ。対して昨年、大フィルと演奏した5番は、各セクションが暴れまくりながらもギリギリの線で崩壊しない、このオケの豪放な持ち味を最大限に生かして、スリリングで前衛的なマーラーの個性を遺漏なく描き出した。
 そして今日の6番は、朝比奈隆のオーケストラとしての大フィルの個性を存分に生かした、巨大で人間臭いマーラーを実現した。朝比奈の言葉を借りれば「見合って見合って遅くなる」ような重量感が特に第1楽章で発揮され、フェスティヴァル・ホールの大容量と相まって比類のない巨大さとなった。木管やロイド・タカモト率いるトロンボーンの大音響も、複雑なオーケストレイションの魅力を内側からあぶり出すのに効果を発揮した。サントリーや池袋といった容量の小さいホールでは飽和しかねない豪放な表現が、大フィルとフェスを得て実現し得た、とも言えようか。
 第1楽章は井口雅子のスネアドラムのクレッシェンドが効果的。そして、リピート記号直前(121小節目)でサイモン・ポレジャエフ率いるコントラバスが、楽譜にはない濃厚なクレッシェンドをして圧倒的存在感を放つ(実はこれが重要であることが後で分かる)。鋭さの印象が残りがちなこの楽章において、今日は逆に濃厚な悲歌が印象に残った。篠崎孝は、いつものペザンテな表現とは一味異なる嘆き節で歌い、今日の感情豊かな演奏の印象を一層強くする。そして、チェ・ムンスと高橋将純の即興的で時間が静止したかのような「二重唱」も幻惑的だ。宮田英恵率いる第2ヴァイオリンの刻みは、特殊楽器群とともに幻想的な「空気」を醸し出した。また、インバルのマーラーは、マーラーの他の作品の横顔がちらつくのも魅力。第1楽章の終盤は、『復活』を思わせる「怒りの日」に慄然とさせられたのち、劇的に陽転して、3番を圧縮したかのようなコーダに突入する。ティンパニの使用法の共通性もさることながら、春の陽気が襲い掛かってくるような激烈な明るさ(トライアングル3台ユニ
ゾンが鮮烈!)が3番を髣髴とさせたのだ。
 続くスケルツォは、(自分でも意外だが)今日の中で一番泣けた。『蜜蜂のささやき』のリバイバル上映を観たばかりだということもあって、この楽章が、純朴な心を持ったグロテスクな人造人間であるように思われたのだ。スケルツォ主部の巨大で不格好な音楽は人造人間の醜悪な外見、そしてぎこちなくも愛らしいトリオは、人造人間の(だれも気付いてくれないが)穢れを知らないが世間とうまく付き合うこともできない繊細な内面だ。当然、この怪物はマーラーの自画像でもあろう。時代の革命児であるがゆえに注がれる奇異の目や露骨な嫌がらせ、そうした中で孤独に耐えるマーラーの姿が見えてくるようだ。まるでセンプレ・フォルテでロングトーンしているような久保田善則の吊るしシンバル、堀内聖子の木琴の悪魔的なクレッシェンドなど、打楽器の存在感がモンスターのごつい骨格を描き出す。また、安土真弓や野々口義典といった名古屋フィルのスタープレーヤーを後列に擁したホルン軍団はまことに贅沢で(終演後の楽員がハケた舞台上で、堀内聖子に記念写真を撮ってもらうホルン奏者9人に、客席から拍手が送られる
という微笑ましい光景もあった)、彼らが装飾音符を豪快に吹き鳴らして悲しみに満ちた醜悪さを冷酷なまでに表現する。また、井野辺大輔率いるヴィオラの上昇音型が印象的で、これが地獄堕ちのようなホルンの下降音型と残酷な対比をなしていることがよくわかった。楽章最後の悲しみは、「どうして俺のことをわかってくれないんだ!」というマーラーの嘆きのようだ。前楽章が暴発するような春の音楽として終わっただけに、このコントラストはとてつもなく痛々しい。
 第3楽章に置かれたアンダンテは、傷ついたマーラーが人間界の醜悪な事情から逃避して、超然とした山の中に入って行って助けを求めているように感じられた。大島弥州夫のイングリッシュホルンが、ドスの利いた声で人間への恨みを告発する。第1楽章では遠くからあこがれていたにすぎなかったカウベルが、この楽章に至って舞台上で鳴らされることの意味が明確になる。そして、この山は、癒しをもたらすだけののどかな風景ではなく、濃密な生命のエネルギーの渦であるように感じられた。ヴィオラが内声から魂の歌を噴き上げる。対照的に、野津臣貴博らフルート4本のユニゾンは寂しさに満ちている。
 フィナーレにはアタッカで突入。これによって、フィナーレ冒頭が深山幽谷の延長であるように感じられる。山に入ったマンフレッドが、そのまま冥府の王と対峙するような印象だ。ハープの打撃音と川浪浩一のソロを中心とした冒頭は、時間の流れではなく空間の広がりによって表現しているような異様な音楽で、10番終楽章の冒頭に匹敵する別次元的な世界だ。村上博美が叩く金属板は『復活』における魑魅魍魎たちの蠢きを髣髴とさせる。この金属板が、山の美しさの象徴であるカウベルと同時に鳴らされるのは意味深である。7番の大団円と同様に、人も神も悪魔も魑魅魍魎もすべてひっくるめた和合を髣髴とさせる。井口雅子のハンマーは容赦のない乾いた音で、マーラーが求めた非現実的な要求を見事に再現。井口は関西フィルの津山公演(藤岡幸男指揮)でもハンマーを叩いており、この楽器はお手の物なのだろう。インバルのルバートに合わせて振り下ろすスピードを微調整するという離れ業までやってのけた。ハンマーの無慈悲な音と、続く音楽の美しさとの対比があまりにも残酷で、マーラーが自らに課した痛みの凄
さに慄然とさせられる。堀内吉昌・中村拓美の大フィル自慢の2大ティンパニストが、地中深く突き刺さるような覇気のあるリズムを打ち込むが、曲の結末を知っているだけに、この自己を鼓舞するような力強さが一層痛々しく感じられる。楽章終盤になると、戦って傷ついてボロボロになったマーラーに「もういいよ、休みなよ」と語り掛けたくなる。ブリテン『戦争レクイエム』の「眠ろう」と同じ気持ちだ。そしてコーダでは、ホルン群がクレッシェンドの動機を呼び交わしあうようにしていたのが印象的で、これは第1楽章リピート記号直前のコントラバスの(楽譜には無い)クレッシェンドに由来があることがはっきりわかった。長い長い戦いを経て、マーラーは結局同じ場所に戻ってきたのだ。最後のフォルテも、強烈な力強さではなく、底の見えない巨大な悲しみの塊のように感じられた。木管、金管、と少しずつ息を失っていき、さいごに寂しく弦楽器のみで終わる、という、孤独への流れをはっきりと聞き取れた。
posted by ゆかもん at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪〜2017.7.17〜

 東京都交響楽団がインバルの指揮でマーラーを演奏。
 前半は初期の逸品『葬礼』。改訂された『復活』第1楽章に比べて、内声の原色的色彩感の蠢きが効果的で、良い意味で泥臭い魅力がある。四方恭子のソロはマーラー4番のようにキレた緊張感があり、オカルト的おどろおどろしさのあるこの曲に表現に似つかわしい。インバルは、ブルックナーを演奏するときと同様、ブロックごとに大胆に基本テンポ設定を変えながらも表現を矮小化しない極端な煽り立てを避けるので、伸縮自在の音楽の自由さと落ち着いたスケールの大きさを両立していた。都響らしい懐の深い音響もインバルの表現に似つかわしい。
 後半は、一転して晩年の傑作『大地の歌』。やはり『葬礼』との作風の違いは明瞭だ。初期の『葬礼』が、油絵の具を幾重にも塗り重ねたような隈取のはっきりした色彩感とどぎつさを持っていたのに対し、晩年の『大地の歌』は、細い線を粗く緩く束ねたような繊細さと軽やかさを持っている。気合十分な『葬礼』と肩の力を抜いた自然体の『大地の歌』ということもできるかもしれない。
独唱者2人は声量よりも表現力でマーラーの世界観を実現。テノールはとりわけポルタメント気味に下降する表現が秀逸。この曲の厭世観と表裏一体となった滑稽味を演出すると同時に、非西洋的印象をも強調することに成功していた。アルトは浮揚するような柔らかい表現が素晴らしい。「浮揚している」ということは地に足がついていない不安と表裏一体であり、この曲の基調にある死の不安、別れの不安を実現した歌唱ということでもある。
 インバルは、例えば第3楽章で大太鼓とシンバルを強調して行進曲の雰囲気を出すなど、マーラーの過去作品を俯瞰しているようで流石だった。
 また、インバルの『大地の歌』と言えば、チューバの扱いも注目点だった。2012年に同じ都響で聴いたときは、第6楽章のトロンボーンに、休んでいるはずのチューバを重ねていた。最後の和音は、チューバの参加によって包み込むような温かさを感じさせて効果的だと感じた。しかし、楽章の中間で激しくフォルテを吹き鳴らす部分は、チューバの温かみのために厳しさが損なわれており、原典通りの方が良いのではないか、と思ったものだ。
 果たして今日は、完全に原典通りに戻り、チューバは第4楽章で一瞬吹いた以外はずっと休んでいた。フォルテの厳しさは当然、原典通りの方が良い効果を出していた。一方、前回のチューバの追加に好印象を持った最後の和音は、原典通りトロンボーン3本のみだと、チューバ有りに比べると軽みを感じることが分かった。そして今日の終結部は、楽章開始における重々しさとは対照的に、浮揚するような軽みのある演奏だった。この曲の中の厭世感が、この世の煩わしいしがらみをすべて捨て去ることへとつながり、それゆえ実現し得た軽みのように思われた。インバルは単に原典に回帰したのではなく、音楽的な深化の結果として原典回帰を志向したのだと思われる。大家となってからも進化・変化を続けるインバルと、それをさせるマーラーの音楽、どちらも凄い!
posted by ゆかもん at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする