ブルックナー・イヤーの今年、ブルックナーの誕生日と命日を、僕はともに広島で過ごした。もちろん、広島交響楽団がブルックナーを演奏したからだ(演奏会場はともに広島文化学園HBGホール)。
生誕200周年のまさにその日である9月4日は、ミサ曲第3番を演奏。この選曲のセンスが素晴らしい。ミサ曲は神への賛美で貫かれた幸福感の塊のようなジャンル。その最高傑作である3番は、ブルックナーの生誕を賛美するのにふさわしい。
指揮は広響の常連指揮者の一人、ヘンリク・シェーファー。ヴィオラ出身だけあって、ポリフォニーをくっきりと彫琢した立体感のある響きを構築する。
全体に滋味深い明るさに満ちており、先月歩いてきたブルックナーの故郷の農村風景が目に浮かんでくる。終曲のクライマックスは輝きに満ちており、聖フローリアンに凱旋するブルックナーの晴れやかな心情が表れているかのようだ。この部分でシェーファーは、楽譜には無い潤色をして効果を上げた。簡潔に輝かしく上向するトランペットなどの金管を、少しずつディミヌエンドさせたのだ。これによって、晴れがましい大聖堂の威容が少しずつ遠景にフェードアウトし、「平和を与えたまえ」と言う人間の声が浮かびあってきた。
ブルックナーに長けた偉大なコンサートマスター四方恭子が率いる弦楽器を中心に、オーケストラの鳴りが立派。名古屋から聴きに来た我らがヴァイオリニストの安江ちゃんの見立てによると、弓を長く使い過ぎることなく、一番鳴る箇所を使って「良い音」をしっかり出していたとのこと。
声楽陣もしっかりした響きを出しており、とりわけ合唱を名門・東京オペラシンガーズが担当したので、和声の色彩感やフーガの立体感が素晴らしい。
また、「hosanna」を先導するソプラノ・ソロの隠岐彩夏が無垢で溌溂とした声色で、ブルックナーの生誕を賛美するにふさわしかった。
ブルックナーの命日である10月11日は、準メルクルが指揮。曲はもちろん、まさにその日まで作曲を続けた交響曲第9番だ(ただし、3楽章版)。
メルクルの9番は横の流れが印象的な演奏。もちろん、音響も素晴らしい。ヴィオラをシモテに配する古典配置のため、内声がしっかり鳴って、立体感がある。第3楽章冒頭の第1ヴァイオリンのパート・ソロに第2ヴァイオリンも重ねる潤色をして、音響を一層肉厚にしていた。しかしそれら以上に、連続する各ブロックが応答しているようで、その流れが意味深く感じられたのだ。例えば、全曲中の最大の見せ場の一つである第3楽章の練習番号L。その直前の管楽器によるミゼレーレが悲痛な感情を込めて訴えるように演奏されると、それに対する神の答えのように、極めて静謐だが慈愛に満ちた響きで練習番号Lの弦楽コラールが演奏されたのだ。この名場面に代表されるように、メルクル演奏の9番は、物語的な印象を受けた。ブルックナーは晩年、オペラを作曲するよう熱烈なオファーを受けるも、9番作曲を優先して断っている。しかし、もしもブルックナーがオペラの作曲を受諾していたらどのようなものになっていただろうか? メルクルの今日の演奏は、その仮説への壮大な解答例であるようにも感じられた。
壮麗に邪心なく神を賛美した壮年期の傑作・ミサ曲第3番に比べると、最晩年の交響曲第9番は、悲しみや苦悩の深さが極大化している。ブルックナーの人生の中で、測り知れない艱難辛苦があったのだろう。しかしそれらをも音楽の中に昇華してしまう強靭さで、ブルックナーは10月11日まで作曲を続けたのだ。
ブルックナーの誕生日と命日に、それぞれに最もふさわしい曲が演奏され、ブルックナーの偉大な人生が浮き彫りになった。この広島交響楽団の1カ月は、世界のブルックナー愛好者に誇るべき偉業だ。