2023年02月12日

遠藤啓輔のコンサート日記(2023.02.07)

 法貴彩子が『ソナタの魅力と呪縛』と題した、ピアノ・ソナタの大曲を3曲も弾くという驚異的なピアノ・リサイタルを開催(2023.02.07.フェニックス・ホール)。
 全体を通して特筆されるのは、音それ自体が魅力的だったことだ。とりわけフォルテの音色が印象深い。ただ単に力任せに大音量を弾くのではなく、重量感のある物体が地の底に吸い込まれていくような、自然体の力強さがあるのだ。中村拓美(大阪フィル)のティンパニから受ける衝撃に近いものを感じる。また、色彩感も印象的だ。音楽が次のブロックへと推移するたびに、感じる色彩の雰囲気が変わるのだ。フレーズを把握する能力と、和声の感覚が研ぎ澄まされているのだろう。

 1曲目はベートーベンの『テンペスト』。
第1楽章は、遅い動機と切迫感ある動機を劇的に対置させ、脳内が錯乱してなかなか前へ進めない様相を表現。悩み苦しむベートーベンの人間臭さを感じさせる。その一方で、ペダルを効果的に使って和声の保続音を深々と響かせ、そこに細かな動機が飛び交う幻想的なパッセージも印象的に表現。多面的な音楽だ!
第2楽章は第1楽章とは対照的に、讃美歌風の落ち着いた静謐な流れに癒される。その上を飛び交う鳥の声はまるで異種並行のようで、やはりベートーベンは前衛的だ。
フィナーレは、「Allegro」ではなく「Allegretto」と指定されていることを活かしたのか、前進するエネルギーがありながらも落ち着きがあり、思索的でさえある。ときおり推進力を急停止させるフォルテの打ち込みが1楽章での逡巡を思い出させ、結局は静かに悩み苦しんだまま終わる。全楽章を一貫した説得力を感じさせる演奏だ。

 2曲目はリストのロ短調ソナタ。単旋律からなる冒頭モティーフと、まるでオーケストラのように壮麗な和声を伴った大音響部分とが印象的に弾き分けられる。これによって、冒頭モティーフへの回帰が印象付けられ、そのたびに次なる新たな展開への期待が高まる。特に、冒頭モティーフがフーガ風に発展した場面では大いに興奮させられた。

 最後は圧巻の、ブーレースのピアノ・ソナタ第2番。前衛的な和音や単音など、さまざまな短い音たちが継ぎ合わされる。しかし、それらバラバラな音たちが、僕たち聴衆の脳の中で溶け合わされて不思議な光景が見えてくるようで、点描画のような印象を受けた。少なくとも僕には、大聖堂の中のような光景が見えた。力強く打ち込まれる短音の林立がまるで柱のように思われる。そして、前衛和声の目くるめく色彩の変化が、ステンドグラスを通った色とりどりの光が、ヒダのついた聖堂の柱に当たって乱反射しているように感じられた。そして何より、脳の中で溶け合ったとは言っても、もともとはバラバラな音たちの寄り集まりで、そこには巨大な空隙がある。その空隙が、聖堂の中の巨大な空間のように感じられたのだ。そして、実際に聖堂の中にいると、厳粛さと恐怖と落ち着きが混じった不思議な感覚を覚えるのと同様に、ブーレースのこの不思議な音響も、驚きと安心感が混じった不思議な感興を覚えた。さらに、その巨大な音の集合体は長いスパンで律動しているようであり、この聖堂が巨大な生命体でもあるように思われた。最も音楽の容貌が変化したのは、第2楽章と第4楽章の中程だ。第2楽章の中程は、まるでドビュッシーのように色彩豊かで密度が高い響きが聞かれ、空隙がある全般の響きとは様相を異にしていた。また第4楽章の中程は、BACH音型を使用したフーガとなり、ここでも引き締まった響きとなっていた。ブーレーズの音楽を聴くのは初めてだが、噂にたがわぬ恐るべき才能だ。もちろん、こうした作品の凄さを堪能できたのは、冒頭で書いた法貴の見事な才能があってのことだ。
posted by 京都フィロムジカ管弦楽団 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | 更新情報をチェックする
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