この演奏会は、前半にヘンデルのメサイアの抜粋が演奏される贅沢なプログラム。オーケストラのみの序曲は各音をテヌートでしっかり鳴らして器楽の美しさを強調。一方、2曲目から加わる合唱は、マスク着用の制約がありながらも語り掛けるような積極的な表現が見事。ドイツ語とは異なる、英語ならではの柔和な発音の魅力も堪能でき、「wonderful!」などは音楽というよりも心底から発せられた感嘆のような生々しさがあった。
そして後半がベートーベンの交響曲第9番。この曲は、慣習的なオーケストレイションの改変を踏襲するか、それとも(一見、不合理な印象を与える)ベートーベンの原典通りに演奏するか、というスタンスの違いがあり、僕は原典通りの演奏を好む。福島の演奏は徹底した原典重視で、それだけでも嬉しかったのだが、今日はさらに、原典通りのベートーベンの楽譜が何故に魅力的なのか、ということが説得力を持って伝わってくる名演だった。
冒頭、細分化された主題の断片が徐々に開陳されるのに合わせて空虚五度の和声を作る管楽器の保続音が徐々に増えていくのだが、その加わっていく一音一音に存在感があり、そこかしこから新たな生命体が発生しているかのような凄みがあった。そしてそれらはフル・オーケストラによる第1主題の提示で頂点を迎える、という一続きの発展する山を作っていた。この「湧き上がる新たな生命たち」という印象と「保続音の活用」という冒頭での表現が、この大曲の全体を通した説得力ある魅力となり、しかも、原典通りのベートーベンの魅力をも光らせた。例えば、本日はブライトコプフ社新版を使用していたが、第1楽章第2主題の提示はベーレンライター社版の旋律線を引用。この跳躍の大きな印象的な旋律線が「湧き上がる生命」という印象をさらに強くした。このように第1楽章は、旋律線をくっきりと浮かび上がらせて、複雑に絡み合う器楽の魅力を掘り下げて演奏。各音をしっかりと弾くが、ヘンデルよりはやや短めに切っており、ベートーベンならではの攻撃性と逞しさに繋がっていた。
第2楽章は、クライマックスの木管の旋律をホルンにも吹かせるようなことは当然しないが、それでもホルンを強調。これによって、ホルンの動きがリズム中心の生き生きとした存在感を持ち、主旋律とはまた別の「新たな生命が沸き上がっている」ような興奮をもたらした。また、ティンパニが小型のケトル2個のみで演奏していたのが、この楽章で効果を発揮する。名高いティンパニ・ソロは小型の楽器を使うとコミカルな印象を与え、ベートーベンの諧謔的な魅力をも感じさせる名場面となった。そしてブライトコプフ社新版の最大の魅力であるトリオのクライマックス。ヴァイオリンの保続音とトロンボーンの短めの音が層を成すこの場面は、全曲の冒頭で「保続音の活用」という流れを作ったからこその説得力があった。
第3楽章は、テンポ設定は速めなのに、しかし、時間が静止しているかのような、不思議な感覚を与えた。これは、冒頭が休符で始まるオーケストレイションを活かしているのに加えて、1小節内の強拍・弱拍の表現を敢えて排したことによるのだろう。もちろん、前半の二楽章が律動の生命力に満ちた演奏だったからこそ実現した、第3楽章の静止感だと言える。その中でもとりわけ、4番ホルンのソロが活躍するブロックの印象が強烈で、息の長いホルン・ソロと細分化されたその他の楽器の短い動機が織り成す不思議な音空間は「永遠の前衛音楽」と言えよう。金管のファンファーレはホルンがしっかり下支えしていることで立派な響きを作り出す。その直後の第2ヴァイオリンのファンファーレ・リズムの名残は、ベートーベンの指定通りの弱音で聞こえるのかどうか悩ましい箇所だと伺ったが、結局ベートーベンの指定通り弱音での演奏だった。しかし、ヴァイオリン両翼配置がなされた今日の演奏では、カミテの外側でひとパートだけ残ってファンファーレ・リズムを弾く第2ヴァイオリンの「孤独感」や「寂しさ」が、弱音の音量によってより意味深くなっており、ベートーベンの原典を信頼した判断が大成功だった。
第4楽章は、合唱主題を提示するチェロ・ベースがヴィブラート無しの簡素な歌い方だったのが印象的。しかしここにファゴット共にヴィオラが加わると、豊かにヴィブラートをかけた人間味豊かなスタイルに変わる。最も音が目立つシモテ内側にヴィオラが配されていたからなおさら効果的だ。ここにヴァイオリンそして管楽器が加わってさらに豊かな人間賛歌となるのだが、この表現の雄大な変化は、たとえば単細胞生物が心を持った人間へと進化する様など、さまざまなイメージを投影することができる。これも、全曲の冒頭で示された「湧き上がる新たな生命たち」という印象が貫徹された結果だろう。合唱はこの曲でも、聴衆に表現が伝わってくる、語り掛けるような演奏を実現。各パートそれぞれに存在感があるので、フーガでの絡みつきの効果が素晴らしい。また、制約から解放されたような爽快感を持ってスフォルツァンドが表現されていたのも印象的だった。第4楽章は全体を通して、気付かれないように少しずつテンポ設定を遅くしていき、その極大が独唱(オクサーナ・ステパニュック、川合ひとみ、隠岐速人、デニス・ヴィシュニャ)の4重唱になった。この4重唱、突然異質なものが取って付けられたかのような違和感を覚える演奏も少なくないが、今日は必然性を感じさせるテンポに支えられて、ソリストたちが雄大に熱唱した。