第1楽章で類稀な演奏が実現できたことで、今日の演奏が名演になることが早くも決定づけられた。この楽章の中には、地底を蠢く魑魅魍魎、神聖とは対極にあるような醜い悪魔、グレゴリオ聖歌風の厳めしい神聖さ、官能的で卑俗な歌謡、といった多彩な要素が封入されており、しかもそれらが異種並行的に共存している。そうした複雑な要素群が明晰に解析され、破格な密度を持って演奏された。
そして、第1楽章では同時に鳴っていたそれらの要素を、後続の楽章で分化し拡大していることがよく分かった。すなわち、第2楽章は官能的で卑俗な歌謡でひと楽章を成しており、第3楽章はまさに魑魅魍魎と悪魔が主役だ。そして第4楽章は神聖さだけで描かれている。それらの要素が、第5楽章で再び同時に登場し、今度は異種並行というよりは坩堝で溶かされたように一体となって(金属板の乱打が、神聖さと溶け合った魑魅魍魎のようだ!)大団円を迎える、というストーリー構成がよく見えた。もしも、マーラーの指示通りに第1楽章の後に長いパウゼを入れたら、後続楽章にどのような印象の変化が生じるだろうか、と興味深く思った。
小さな部分にも全曲を貫く説得力を感じさせた。例えば第2楽章の練習番号3で、安土真弓(ホルン)の刻みが主役の弦楽器以上に存在感を放っていて印象に残った。この「ホルンの刻み」が、第5楽章の練習番号18前後で「ホルンの刻みの咆哮」となって帰ってきた時には、大いに驚かされると同時に、長大な曲を貫く説得力を感じさせた。さらに、第5楽章のこの場面は魑魅魍魎と悪魔が乱闘を繰り広げるような苛烈な音楽なのに、ホルンの刻みを媒介にして第2楽章の愛らしく柔和な音楽を思い起こす、という不思議な体験までできた。後でスコアを確認すると、第2楽章の練習番号3は、ホルンの刻みには主旋律の弦楽器よりも大きな音量が指定されていたのだ!
スコアを細部まで読み込んだ結果生まれた名演であり、マーラーの恐るべき深謀遠慮と、それを読み取った小泉の眼力に身震いする思いだ。
そして全体として、土に根差した音楽、という印象を受けた。多くの旋律の歌い方が、良い意味で洗練されていない朴訥としたもので、宮本弦(トランペット)の静謐なコラールも、アクセントなどを程好く利かせてゴツゴツした味わいがあった。また、舞台裏の中央で演奏された金管のバンダも、地の底から魑魅魍魎が叫び声を上げたり、怨霊の軍楽隊が地中を行進しているかのような泥臭さがあり、舞台上の清らかな音と好対照で破格の広がりを出していた。
そして、ロットを偏愛する僕には、今日の『復活』は「ロットの魂を慰める音楽」として伝わってきた。ロットから多大な影響を受けたマーラーだが、『復活』にはそれが最も顕著に表れている。何しろ、第3楽章にロットの交響曲の一部が完全にコピーされているのだ。今日、改めて聴いてみると、ロットからの引用にマーラーの意図が明瞭に表れているのに気づいた。ロットからの引用は第3楽章で2度登場するが、一度目の登場箇所の直後は、夢の中で祈るような幻想的な音楽になる(全体的におどろおどろしい第3楽章だけに、その天国的に雰囲気は異彩を放つ)。そして2度目の登場は楽章の終盤で、神聖な第4楽章へと続くのである(そもそも第4楽章のコラールも、明らかにロットからの影響が感じられる)。楽壇に恨みを残して夭折したロットの魂は、救われずに怨霊となって地をさまよっているのではないか。魑魅魍魎が跋扈する第3楽章でのロットの引用は、そうした悲しい思いの表現だろう。しかしそのロットの引用は、直後の滋味深いコラール(しかもロット風!)で慰められるのだ。「ロット君、君の音楽はこんなにも美しいんだ。誇り高く天国に行っていいんだよ」とマーラーが語りかけているかのようだ。
こうしてロット印象が刻印されると、今まで気付いていた以上に、この曲にロットからの影響があると分かる。とりわけ、終楽章の覇気に満ちた行進曲はまさにロット的で、「ロットの魂がマーラーに憑依してこの曲を書かせた!」とさえ思われてくる。マーラーがこの曲で『復活』させようとしたのは、友人ロットの音楽だったのかもしれない。昨年12月に名古屋フィルが川瀬賢太郎の指揮で史上空前のロットの名演を成し遂げてから、まだ1年経っていない。オーケストラの血肉に刻み込まれたロット演奏の記憶が、今日のマーラーの名演につながったと確信する。