まずマチネは、Kカンパニーのバレエ『クレオパトラ』を観る(オーチャードホール)。これは熊川哲也がつくったオリジナルのバレエだが、音楽は全てニルセン作品のコラージュでできているのだ。演奏は井田勝大指揮のシアター・オーケストラ東京で、ピットの中にコントラバス5人を擁する大オーケストラが陣取って、ニルセンの音楽をパワフルに演奏した。
『アラディン』の中の「祝祭行進曲」(組曲版では第1曲目)を最重要曲として扱っているが、ほかにも交響曲など多くの作品を引用。そればかりでなく僕が全く知らない曲も多数あるので、僕にとって未開拓のジャンルである劇音楽からも多く引用しているのだろう。肉厚でギラギラした響きが炸裂し、別世界への憧れに満ち、複数の要素が異種並行するニルセンの音楽は、権力欲と色欲が荒れ狂うクレオパトラの濃密な人生を群舞によって描き出すのにぴったりだ。そして、音楽の選択が実に秀逸。夜明けの場面に『ヘリオス』を使用するのは当然として、僕が特に感動したのは、カエサルがブルートゥスらに暗殺される場面。ここに第5交響曲の第1楽章を使用。雄大なコラールに軍楽隊が暴力的に闖入してくるこの音楽を使用することによって、栄華を誇るローマの町の日常と、カエサル暗殺という大事件とを、同時に描き出すことに成功していた。
僕は初演時の『クレオパトラ』のツアーも観ているので今回が2度目の鑑賞になるのだが、やはり2度目の方が感慨深く観られる。今回特に唸らされたのはクレオパトラがカエサルに初めて謁見する官能的な場面で、4群に分かれたオーケストラが全く異なる音楽を同時並行させる前衛性で名高い「イスパハンの市場」(『アラディン』より)が使用されている。初演時に観たときは「舞台上にクレオパトラとカエサルの2人しかいないのに、何故4声部からなる音楽を使うのだ?」と疑問に思った。しかし2度目となる今日の鑑賞で、当時の自分の感性が浅はかであったことを思い知った。確かに踊っているのは2人だが、巧みな照明によって彼らの影が壁面に多重に映り、まるで6人以上の大人数が躍っているように見えていたのだ。そしてこれは、人物は2人であっても、その中に「謀略家」「権力者」「女」「男」…など実に様々な顔があり、それらが入り乱れて目眩のするような駆け引きを繰り広げていることの暗喩であろう。その膨大な人格の乱舞を表現するのに、「イスパハンの市場」を引用したのは慧眼というほかない。
クレオパトラが死を決意する最後の場面では、クレオパトラ役の浅川紫織が壮絶な演技によって、あまりにも多くの悲劇を背負い過ぎた一人の人間の激烈な人生を振り返る。ここでの音楽は前述の「祝祭行進曲」(『アラディン』)である。
ソワレはサントリーホールに移動して、巨匠ブロムシュテットが指揮するNHK響を聴く。
前半はグリーグのピアノ協奏曲で、ブロムシュテットは遅い悠然たるテンポでオーケストラを歌わせて大陸的に広いイメージを抱かせる。対照的にソリストのムストネンは、動機を鋭いアタックで弾き始めるもすぐに減衰するスタイルで徹底し、一瞬で溶けて消える雪のような印象を受ける。このようにソロとオーケストラの様相が正反対であることによって、重厚感を担当するオーケストラと煌めきを担当するピアノ・ソロ、というように役割分担をしているように感じられ、多層的な充実感を感じさせる演奏になっていた。
そして後半がニルセンの交響曲第3番『エスパンシーヴァ』で、今日のニルセン尽くしの締めくくりだ。前半のグリーグとは対照的に、テンポの推進力に惹き込まれる動的な演奏だった。
冒頭のユニゾンの打ち込みは爆音ではなくむしろ端正だが、かえってリズムが印象深く記憶に残る。そのことで、全曲にわたって回想される簡潔なリズムに既視感を覚えることになり、全曲の統一感が生まれていた。そのほかにも例えば、第1楽章で印象深く鳴らされたトランペットのトレモロが、フィナーレでホルンのトリルとなって再帰するなど、全曲を通しての説得力ある統一感が印象的な演奏であった。昼間に『クレオパトラ』を観た印象が残っているため、ニルセンの音楽には壮絶な人生を反映できるようなエネルギーに満ちていることを強く感じる。それに加えて、今日のブロムシュテットによる説得力ある交響曲の演奏では、ひとつの完結した小宇宙という絶対音楽ならではの崇高さを感じた。
中でもこの第3交響曲は、第2楽章のヴォカリーズを筆頭に、実に微細な音楽表現が盛り込まれている。まるで森羅万象を短い演奏時間に集約したような作品であり、それを強く印象付ける演奏であった。
それにしても、ブロムシュテットのテンポ設定は素晴らしい。フレーズを納めるリタルダンドなどが、単に見えを切っているのでなく、その次に来る新たなテンポを導入する布石となっていることを強く感じさせ、テンポの緩急によって曲全体に呼吸を持った推進力がもたらされているのだ。特に終楽章の終盤近くでは、目的地に向かって音楽が自然に吸い寄せられていくような圧倒的な推進力が聞かれた。これはネーメ・ヤルヴィが得意とする表現だが、まさにライヴで音楽を聴く醍醐味の一つである。実に贅沢なニルセン尽くしの一日であった。