2020年06月28日

遠藤啓輔のコンサート日記 2020.06.27

 関西フィルに鈴木優人が客演指揮(2020.06.27。シンフォニー・ホール)。もともと人数が少ない関西フィルの弦楽器がさらに奏者を絞り込み、市松模様状に着座することで演奏者同士の間隔を確保。よって第1プルトは首席奏者ばかり4人ということになるが、オーケストラは弦楽四重奏の拡大形だということを視覚的にも再認識できた。そもそも関西フィルは、指揮者の個性に合わせて響きを切り替えるカメレオンのような器用さが武器だと思う。今日はバッハ演奏に定評のあるマエストロのもとで、一時的にバロック室内楽団に変貌することでウィルスの流行に対処したと言えよう。昨日聴いた大阪フィルは(関西フィルとは正反対に)、創立者・朝比奈隆が醸成した重量感のある響きを恒に変えないのが唯一無二の個性であり、総力戦での演奏スタイルを維持したのも当然の判断と言える。危機的状況への対処の仕方に、各楽団の個性と魅力が反映していて興味深い。
 1曲目はモーツァルトのドン・ジョヴァンニ序曲で、これが今日最大編成の作品。亡霊の場面に由来する冒頭を凶暴にグロテスクに表現し、スフォルツァンドの衝撃も凄みがある。一方で、主部は躍動的なリズムを鋭く演奏し生命力を出す。トランペット(池田悠人・白水大介)のみ古楽器(無弁で、おそらく指孔有りの長管トランペット)を使用。明る過ぎない肉厚な音色が、オーケストラに馴染みつつも存在感を出していた。
 2曲目はやはりモーツアルトの交響曲29番だが、鋭角的だった序曲とは打って変わって滑らかで柔和な演奏。管楽器がオーボエとホルンのみという、弦楽器主体の作品だからということもあろうか。その弦楽器は、人数が少ない分、個々の奏者がクリアな音色で演奏し、柔和な流れの中にしっかりとした骨格を作り出していた。特にモーツァルト演奏の柱となる「刻み」が粒立ったことで、音楽に推進力が貫通していた。とりわけ中島悦子率いるヴィオラは、まるで天空に向かって刻みを吹き上げているようにさえ感じられた。弦楽器は古典配置を取ったが、これがモーツァルトのオーケストレイションの見事さを引き立たせる。増永花恵率いる第2ヴァイオリンの少し沈痛な主旋律に、岩谷祐之率いる第1ヴァイオリンがきらめくような副旋律を添える場面は劇的ですらある。きらめきと言えば、全体的に装飾音符がくっきりと表現され、これも音楽にきらめきを添えていた。また管楽器は、例えばメヌエットでの狩の表現などが力強く印象的で、限られた素材から最大限の効果を引き出すモーツァルトの凄さを感じさせた。
 休憩をはさんで、シューベルトの人気曲の一つである交響曲第5番。モーツァルトよりも木管の編成が増えたことで、色彩感の多彩さとポリフォニーの面白さが印象的になっている。僕がシューベルトの偉大な個性だと思っているメロディーの不気味さと打ち付けられる音響の凶暴さは、この少年時代の作品でも顕著に聴かれ、天才はやはり少年時代から天才だった、ということを改めて思い知らされる。今日とりわけ印象的だったのは第2楽章で、あらゆるフレーズが半音の上昇によって締めくくられていた点が、バッハのマタイ受難曲を思い起こさせた。シューベルトの5番は何度も聴いたはずなのに、マタイとのつながりが見えたのは今日が初めてだ。これぞバッハ演奏の大家・鈴木ならではのシューベルトと言えようか。ただしひょっとすると、僕自身が自分でも知らないうちに、バッハの音楽に救いを求めているのかもしれない。
posted by ひつじ at 22:18| Comment(0) | 練習風景 | 更新情報をチェックする