2019年11月12日

♪遠藤啓輔のコンサート日記♪ 〜ショスタコーヴィチ11番2題〜

 ショスタコーヴィチの交響曲第11番を1箇月おきに聴くという、なかなかに稀有な体験ができた。

 

 先月は105日で井上道義指揮のNHK響(NHKホール)。遅いテンポを徹底し、全楽章を通した音楽の横への広がりが印象的な、大陸的ともいうべき演奏。そして、とにかく旋律を美しく歌うことを重視していたが、そうすることで、第2楽章などの暴力的な箇所との対比が残酷なまでに鮮明となった。第3楽章におけるヴィオラの哀歌や、フィナーレでのイングリッシュホルン池田昭子の独白は、いずれも雄弁な歌い方。とりわけ池田のソロは、前半は昔話をする老婆のように、感情が豊かでいながらも落ち着きがあったが、音域が急に高くなる後半では「あな、いたわしや無辜の民!」とでも言いながら泣き叫ぶように感情を爆発させ、その豹変ぶりに慄然とさせられた。最後の鐘は、沼尻竜典がセンチュリー響と演奏した時のように残響が自然消滅するまで鳴らしっぱなしにするスタイルもあるが、今日の道義はすぐに消音させた。まるで息の根を止められたかのような、残酷な終わり方だった。

 

 そして今月は1111日にエリアフ・インバル指揮の東京都響(東京文化会館)。道義とは対照的な、速めのテンポ設定。そうすることで、1楽章と2楽章が一つのブロックとして一体的な印象を与えた。そして、それぞれが明確な個性を持った第3楽章と第4楽章とで、3つのブロックが鼎立するような曲全体の構成感が明白になった。さらに、12楽章のブロック内では、金管のファンファーレ部分では常にテンポを1段上げる、旋律はフレーズごとにメッサ・ディ・ヴォーチェを徹底する、などの抑揚を効かせ、動的な印象を一層強くした。

 対照的に第3楽章は、店村眞積率いるヴィオラのパート・ソロが感情を押し殺した静謐な演奏スタイルで徹底。1・2楽章ブロックとの残酷なまでの対比をなした。

そしてフィナーレは当然、第3楽章との違いを強調した動的な演奏スタイルを取る。とりわけコンサートマスター矢部達哉率いる弦楽器のユニゾンの、まるで暴発するように躍動的なリズムが圧倒的。東京文化会館のクリアで乾いた音響と相まって、音楽のエネルギーがダイレクトに襲い掛かってくるようだった。しかし大植圭太郎のイングリッシュホルン・ソロは、淡々とした静謐なスタイルで、第3楽章の哀歌に帰ってきたような残酷さがあった。最後の鐘は、残響を残さず早めに消音したが、道義のように一瞬に止めたのとは異なる、ほかの楽器群の残響が消えるのと合わせた自然な消音だった。この巨大で残酷な音物語は、実は一瞬の幻に過ぎなかった、とでもいうような不思議な後味が残った。

 

 ショスタコーヴィチの交響曲の中でもとりわけ愛聴する11番だが、その恐るべき底深さを再認識できた2公演で、一層この怪物的な作品が好きになった。

posted by ちぇろぱんだ at 22:41| Comment(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | 更新情報をチェックする