2022年04月13日

遠藤啓輔のコンサート日記(2022.03.25)

 飯守泰次郎が関西フィルと得意のブルックナーを演奏(2022.03.25。シンフォニー・ホール)。

 前半はブルックナー若き日の作品である交響曲へ短調。

 第1楽章は、冒頭主題を岩谷祐之率いる第1ヴァイオリンが濃厚な味付けで演奏。ただし全体としては、速めのテンポをほとんど変化させずに通す。第2主題部はもっと遅いテンポで濃厚に歌う解釈も有りだと思うが、もともと飯守/関フィルは第2主題部を早めのテンポで素朴な味わいを醸し出して歌うブルックナーを積み重ねてきたので、この両者ならではの歌謡主題の表現と言える。そして、このコンビならではの、鄙びた味わいのある響きが魅力的で、オーバーエスターライヒの農村風景が目に浮かぶようだ。また、ブルックナーのオーケストレイションの簡潔な見事さに感銘を受ける。弦楽だけでかなり長く展開されたり、保続音がホルンから木管にリレーされたり、そうした何でもない簡潔さが、オーケストラの美しさを際立たせていたのだ。そして、ポリフォニーの中核を担うヴィオラが、中島悦子のリードのもとで逞しく弾き込んでおり、立体的な立派さが生み出された。展開部の抽象絵画のような前衛性、コーダ前半における淡い色彩の微細な変化に、紛れもないブルックナーの独創性が聞かれた。そして冒頭の下降音型を各楽器で連呼するコーダ終盤は、それぞれが濃厚な表情でロマン派的なうねりがある。冒頭を濃厚に歌い込んだことによる、説得力ある楽章全体の整合性だ。

 第2楽章は、主旋律よりも伴奏の保続音が先入りするので、そこに音色それ自体の魅力が求められる。この名コンビは音それ自体に鄙びた魅力があるので、この楽章を演奏するのにぴったりだ。第1主題部のクライマックスは、低弦のリズムをグロテスクには演奏せず、深い響の中に馴染ませる。この部分の盛り上げ役は中山直音によるティンパニのクレッシェンドで、「青年」ブルックナーの血のたぎりを感じさせた。舞曲風の中間部はリピートを遵守したおかげで、主部との長さのバランスが良い。楽章の最後は、松田信洋のホルンが農村風景を優しく描き出し、そこに中山のティンパニが程好い軽快さをもって足音を刻む。故郷を散策する若き日のブルックナーが見えるようだ。

 この曲のスケルツォ(第3楽章)は、後期作品の簡潔さとは異なるトリッキーな複雑さが魅力だが、今日はそれをことさら強調せず、パリッとしたブルックナーのスケルツォならではの魅力を前面に出す。足がもつれるようなトリックは隠し味として消化され、特に34における池田悠人・堀川正浩のトランペットの闖入は効果的だった。トリオは木管を中心に分厚い響きで演奏し、最後だけ加わるコントラバスの響も重厚。簡潔なオーケストレイションながらも濃厚な存在感があった。ダ・カーポ後のスケルツォは、提示とは異なり大見えを切るようなリタルダンドによって終える。完璧なシンメトリーを成す後期交響曲とは異なる、初期の作品だからこそ成立する面白さだ。

 第4楽章は早めのテンポで通しながらも鄙びた響きで魅了する第1楽章の表現を踏襲しつつ、100以降で三連符によってポリフォニーが雄大になる様や、300付近での弱音ながらも立派な存在感を持つ木管のフレーズが雄弁で、立派な終楽章になっていた。池田・堀川によるトランペットの不協和音(315)は、9番フィナーレを先取りしたように効果的で、やはりブルックナーは最初から偉大だった、ということを再認識した。



後半は、知る人ぞ知る初期の傑作・交響曲第θ番ニ短調。

 第1楽章は、試演時の指揮者デゾフが「どれが主要主題なのか分からない」と言ったという伝説をまるで逆手に取って、その「弱点」を魅力に変えてしまったかの様な演奏。楽章全体が(ほぼ)一つの塊であるかのような、(ほぼ)切れ目のない推進力を持ち、途方もない巨大な奔流となっていたのだ。アレグロ部分をそのような推進力によって一貫させたため、その流れを断ち切る役目を果たす、トランペットのファンファーレや、宗教音楽的に崇高なパッセージの魅力が、一層際立って印象付けられる。ソナタ形式を用いているのに、主要主題よりも副次的要素の方が魅力を放つ破格の音楽と言える。デゾフの反応は、この作品の独創性を正確に理解したからこその驚きと言えるのかもしれない。また、全体としてこの曲を特徴づけるスビート・ピアノが効果を発揮していた。ブルックナーの場合、緊張感で身震いするような極限の弱音はマイナスだというのが僕の持論だが、今日のスビート・ピアノはそれとは逆で、音楽の流れのなかにホッと一息つく瞬間を設けたかのような効果が出ていた。

 第2楽章は今日の演奏会の白眉。音一つ一つが温かく愛情に満ちている。弦と木管が対置される序盤では、とりわけ佛田明希子のオーボエを中心とする響きに哀し気な優しさがあって、涙無しに聴けない。楽章が高みに登るにつれて、高音域を中心に様々な要素が加わってくるが、そうした場面でも、地鳴りのように冒頭音型がチェロ・ベースで弾かれているのが安心感を醸し出す。複雑なシンコペーションが、それを実現することが自己目的化しておらず、飽くまでも温かく穏やかな流れが音楽の中心に座っているのが良い。下野竜也の演奏を聴いて以降、最後の冒頭音型の回帰の前の総休止(155)をどう指揮するのかが、この楽章の注目点の一つになった。2小節弱に及ぶこの総休止を、下野の場合はきっちり空振りして空白の印象を強め、沈黙の中からようやく絞り出した言葉が冒頭音型だった、といった感動を生んでいた。対照的に今日の飯守の演奏は、休止をカウントすることなく、正確な長さよりはかなり短めに済ませて冒頭音型を回帰させた。音楽の穏やかな流れの中の、ちょっとした一呼吸といった無理のない流れがある。どちらのスタイルも素晴らしく、それぞれに異なる魅力がある。

 第3楽章のスケルツォは、風早宏隆率いる黄金のトロンボーンを中心とした響の立派さが印象的。第2楽章が、ブルックナーとしては珍しいトランペット・トロンボーン・ティンパニを全く使わない楽章だったため、それとの対比が見事に出ていた。序盤の金管の打ち込み(5)を、協会版スコアより1小節後ろにずらして後押し感を演出する演奏も多いが、今日は協会版スコア通り木管と同時に出る演奏で、簡潔さが優先されている。トリオは、終盤の、まるで雲行きが怪しくなったかのような不気味な色彩感が印象的。初期作品を特徴づけるコーダは、ホルンの地鳴りのような低音が効果を発揮、9番の1楽章を先取りしているようだ。そして最後は大きくテンポを落とし、弦楽器が上昇音型と下降音型を交差させて十字を切る様を瑞々しく描き出した。

 フィナーレは、モデラートの指定を活かした遅いテンポで始めるが、池田悠人のトランペットが不吉を告げるラッパのように鳴り響くと(15)、打って変わって速いテンポでフーガ主題に突入。フーガは綿密というよりも、各主題が別々に命を持って絡み合う、生物たちの群がどんどん姿を変えていくような恐ろしい迫力があった。ホルンの前打音付き打ち込みが2回だけ入る不思議さも(157)、生物の突然変異のようで腑に落ちる。楽章冒頭の要素が再現される際は遅いテンポに切り替えられるが、このようにテンポで分かりやすく区分されることによって、この楽章が基本的にフーガを中心とした楽章であることが印象付けられる。第1楽章と合わせた印象として、θ番という曲が、音楽の一貫した怒涛の流れを軸とした、ブルックナーの作品の中でも独特な魅力を持った傑作であるという印象を強くした。
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2022年02月14日

遠藤啓輔のコンサート日記(2022.02.10・11)

 音楽監督・尾高忠明による大阪フィルのブルックナー、今回はフィロムジカも過去に演奏した中期の巨峰・5番。雄大な後期の交響曲を濃厚に歌わせることに長けた尾高のこと、構築的な印象がある5番をも雄弁に歌わせてくれるだろうと期待したが、期待を上回る意外性をも伴って、この大曲を存分に歌わせた(2022.02.10・11。フェスティヴァル・ホール)。もちろん我らが岩井先生もご出演。

 第1楽章の序奏はやや速めのテンポ設定だが、それによって要素が複雑に絡み合った冒頭が推進力を持った一つの歌として纏まっていた。同時に、低音から高音へと順次重なっていく音たちに新鮮な印象が伴っていたのは、音それ自体が美しい大阪フィルならでは。尾高は左手の動きでアクセントを明確に強調し、流れの中にも構築的なメリハリをつける。この弦楽のみの冒頭部分を静かに納めて一つのブロックとして纏めるが、続くフル・オーケストラのフォルテをしっとりと立ち上げ、休符もイン・テンポで端正にカウントするので、序奏部全体の流れの一体感が損なわれることは無い。篠崎孝と坂本敦(客演。名古屋フィル)の1・2番トランペットも柔らかなアタックで雄大な流れの中にうまく収まっていた。
 第1主題のヴィオラ・チェロは、ブルックナーがはっきりと記入しているメッサ・ディ・ヴォーチェをしっかりと活かした演奏。いままで聴きたくても聴く機会が無かった表現が、ようやく聴けた!やはりブルックナーの基調は歌だということを再認識。第1主題をフル・オーケストラで確保する部分は軽くテンポを落として、どっしりとした安定感を出す。第2主題はさらにテンポを落とし、まるで時間が静止したかのような印象さえ受ける。そして、大フィルのピッツィカートの重厚な美しさが際立つ。しかし第3主題は一転して奔流のような流れを持つ。このようにテンポを大胆に変化させていたが、提示部と再現部の整合性が取れているので、全体として落ち着いた安定感が実現していた。展開部もブロックごとにテンポを切り替えていたが、ポリフォニックな練習番号M前後でテンポを大きく落としていたのが印象的。遅めのテンポのおかげで、複雑な綾を成す各々の糸が識別でき、音の織物をきちんとした図像として見ることができた思いがした。コーダも遅めのテンポ設定だが、これは提示部で遅めに演奏したからこその理にかなった安定感だ。さらにこのテンポによって、冒頭の伴奏が再現されていることが良く分かり、「帰ってきた!」ということを体感できた。
 また、練習番号I前後の3・1番ホルン・ソロ(藤原雄一、高橋将純)とフルート・ソロ(田中玲奈)の掛け合いは見事な弱音で演奏されたが、決して「極限のピアニシモ!」といった緊迫感は与えず、むしろおおらかさがあり、はるか遠くに美しいものが見えている、といった印象であった。(緊張感ではなく)幸福感のあるピアニシモ、は大植時代を経ての大阪フィルの見事な個性だと思う。

 第2楽章は、第1主題を3拍子系で振るのか2拍子系で振るのかも注目点だが、尾高は意外にもほとんど体を動かさず、カウント明示しない振り方だった。これによって大阪フィルらしい自発性が発揮され、さらに大森悠(オーボエ)と小林佑太朗(ファゴット)の肉厚な音色と相まって生命力を持った音楽が生まれていた。尾高と大阪フィルの双方の信頼が生み出した名場面だ。
 第2主題は期待通りの歌心が発露されていたが、中でも感銘を受けたのはホルンの刻みが加わって以降。フーガ風に次々と加わる各弦楽器がそれぞれに魅力的で、これも音それ自体が美しい大フィルならでは。さらに練習番号C以降では、宮田英恵率いる第2ヴァイオリンが分散和音を全弓で弾いて立派な音の大地を造り上げ、管楽器の主旋律を支えていた。
 この楽章は全体的にテンポが速めだったが、これによって第1主題部の再現で音たちが十字架を描いていく様相が見事に浮かび上がった。一方、第2主題の再現は、提示部とは異なる寂寥感を伴った印象で、楽章にロマン派的な深みを加えていた。
 またこの楽章では、福田えりみ率いるトロンボーン3本の和声の静謐さが印象的だった。というのも、第1楽章ではトロンボーンにテューバが加わった4本のロー・ブラスの立派な音響が印象的だったのに、第2楽章はこれとは全く異なる美感を求めていたからだ。テューバが使われていない第2楽章の、トロンボーンのみの音色美を追求した結果だと確信する。
 さらに細かな所で、ブルックナーのオーケストレイションの見事さが光った。51小節目では田中のフルートとチェ・ムンス率いる第1ヴァイオリンが、154小節目では小林のファゴットと井野辺大輔率いるヴィオラがユニゾンで演奏するが、いずれもすぐに管楽器が吹くのをやめて弦だけになる。ブルックナーの魂である弦楽器が、管楽器の鎧を脱ぎ捨てて心の中を生々しく晒したかのような印象を受けた。
 楽章の終わりは下降音型で終わる自筆譜通りの楽譜を選択。ブロックを一つ一つ丁寧に歌い収める今日の演奏スタイルにも相応しい。

 第3楽章もブロックごとのテンポをしっかりと切り替えており、簡潔さを極めた後期作品のスケルツォとは異なる、5番の複雑な魅力を堪能できた。とりわけレントラー風の舞曲のテンポ感が良い。トリオが終わってダ・カーポするときは、「この巨大なスケルツォをまたそっくりそのままもう一度聴けるんだ!」と嬉しくなった。スケルツォ再現部は、弦楽器は自筆譜通りに弾かれ(260小節目付近)、高見信行の3番トランペットにも程好い存在感があって、いずれも提示部とは違う面白さが良く出ていた。
 また、先行楽章では基本的に音の収めを長めにしてフェスティヴァル・ホールを響きで満たしていたのに対し、スケルツォの最後を軽く短めに切っていたのが印象的だった。これによって、トリオの軽快さへとうまく繋がっていた。そうして導かれたトリオは角の立った朴訥とした表現で、田舎人のパワフルなダンスという面白さが良く出ていた。

 第4楽章は、金井信之のクラリネット・ソロが鋭い演奏で、たっぷり目に歌う各楽章の回想と対照的。この意味は、クラリネット旋律(第1主題)を弦がフーガで演奏するときに明らかになった。弦のボウイングが、締めくくりの3連続ダウン・ボウだけでなく、冒頭と途中の2連続四分音符までも連続ダウン・ボウで演奏していたのだ。金井のクラリネットはこのダウン・ボウの鋭さを予告していたのである。このダウン・ボウだらけの鋭い第1主題の表現は、楽章中盤の二重フーガになってその効果が発揮された。金管のコラールが広々としたおおらかさをもって提示された後、このコラールと第1主題とで2重フーガになるが、コラールのおおらかさと第1主題の鋭さが極めて効果的に対峙され、立体的なポリフォニーになっていたのだ。
 第4楽章もテンポ設定にしっかりとした意図が感じられた。特に第2・第3主題のスピード感が印象的だったが、これによって、金管のコラールの広々としたおおらかさや、コーダのコラールの安定感を強調することになった。特に終盤は段階的に徐々にテンポを落としていき、楽章を通して音楽を巨大化していく様相が印象付けられた。
 また、第1楽章第1主題が再現する部分では、その予告をする木管の存在感が素晴らしく、この時点から「帰ってきた!」と感じさせた。
 最後は、僕たちが池田先生の指揮で演奏した時と同様、トロンボーンとホルンからトランペットへと受け継がれる太い歌の流れが強調され、今日の歌に満ちた演奏を最後まで貫徹した。フルートの上昇音型には何も小細工をしなかったが、僕には田中と増本竜士(客演。元・関西フィル首席)の音が鳩になって飛翔したのが見えたような気がした。ポリフォニックに絡み合っていた数多の音たちが最後に一体の下降音型となる様は、極大に遅くされたテンポと相まって圧倒的だった。まるで巨大な雲の威容のようだ。空隙を埋める堀内吉昌のティンパニの深々としたトレモロは、天の空気にみなぎる宇宙のエネルギーのようだった。

 初日・2日目ともに演奏後の静寂が保たれ、フェスティヴァル・ホールの巨大な空間に満たされたエネルギーに身を浸す幸福を存分に味わうことができた。
posted by かぶと at 19:24| Comment(0) | 遠藤啓輔のコンサート日記 | 更新情報をチェックする

2021年12月26日

第48回定期演奏会、終演!

第48回定期演奏会が無事終演いたしました!

年末の冷え込んだ日でしたが、多くのお客さまにお越しいただきました。ありがとうございました🙇

指揮の滝本先生やコンミスの古川先生、そしてトレーナーの先生方のお力添えにも感謝です。

1年の延期や練習期間の短縮がありましたが、その分だけ集中力も高めて、フィロらしい演奏をお届けできたのではないかと思います。
本番では随所で滝本先生のスペシャルな指揮も飛び出していたような気がします…✨

この演奏を通じて皆さまとなにか景色を共有できていたなら、奏者として幸せに思います♪


フィロの2021年はこの演奏会で締めくくりです。年明けにはまた次の演奏会に向けて動き出しますので、どうぞお楽しみに!
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posted by かぶと at 23:03| Comment(0) | 演奏会の様子&アフター | 更新情報をチェックする